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自由度が高いことが雪山ハイクの魅力だと思う

 

自分は厳冬期の雪山があまり好きではないという内容のブログを以前書きました。

 

その後、12月28日に阿部山に登ったのを最後に2021年のレビューをした結果、1年間の山行回数は50回強。『これはまだまだ足りないな。令和4年は寅年なので行動する人に福が来る。休日日数と同じくらい山に登ろう。』と思い立ち、現在まで皆勤賞がもらえるレベルを継続しています。

 

そして明日でいよいよ15日目になろうとしています。

 

年明け44日間で15日ですから、3日に1日のペースで山に入っているわけで、フルタイムの会社員としては上々の成績だと自負しています。

 

うん?頭はおかしくありません。きっと正常。

 

さて実のところ、こうして常に行動して『厳冬期が好きか嫌いか』の検証をしているつもりなのですが、札幌近郊の低山を中心に活動してきた結果、『厳冬期の山はおもしろい』という結論に至りました。

 

スキーのように滑走という楽しみもなく、「ツボ足スノーシューで低山なんかをラッセルして何が楽しいの?」って思われがちですが、これに対する私の答えはおそらく『自由度の高さ』なのだと思います。

 

夏山の場合は登山コースが決まっていて、最短コースで登らずにロングコースを登ることで満足感を得るってパターンがあるじゃないですか。

 

例えばトムラウシ山ならわざわざ天人峡から歩くみたいな。

 

雪山の自由度って言うのは、夏山のコース選びをさらに広げられること。雪山ならではの柔軟性なのかなって思うんです。

 

そうやって考えると山歩きの満足感って『自分の限界を超えるかどうかのギリギリを彷徨うこと』で得られるのかなって思いました。

 

さて、今年に入ってから遊んでいる山々では、森林限界を超え、真っ白な景色が広がるビッグマウンテンのようなご褒美にはありつけません。そんな経験をしたのは、強いて言うなら1月に訪れた船形山だけ。あとはほとんど札幌近郊の低山なのです。

 

しかし自身の体力を存分に発揮し、完全燃焼に近い状態にまで追い込めるルートだって組めるんです。そしてそれを容易に実行に移せる近場にフィールドが広がっているのです。

 

しかも雪山は常に状態が変わるので、同じ山でも新鮮な気持ちで登ることができる。これは新しい発見かな。

 

さらに安・近・短だから持続性が高い。これが私には追い風になっています。

 

つまり、移動時間がかからず、車中泊や深夜早朝の行動もない。ガソリン価格の高騰や高速料金など山歩きそのものとは関係ない要素を気にかけなくてもいいんですよ。

 

そしてもう一つ。

 

札幌50峰~札幌150峰という目標が私に動機を与えてくれたこと。

 

これによって次の山行を計画する楽しみが増し、行動が加速した感じです。

 

とにもかくにも3月上旬くらいまでは車を運転せずに行ける範囲の山々で、それ以降は増毛や積丹、南日高にも行きたいけれど、なるべく地下鉄・バスと自転車を漕いで行ける範囲の札幌150峰をやり続けたい気持ちが強いですね。

 

こんな調子で続けると最長で5月上旬くらいまでなのかな。例えば奥夕日岳と一の沢とか、山之神、三峰山、山田峰など。

 

鉄は熱いうちに打て、やりたいことはやりたいと思った瞬間が旬。

 

日本百名山は一旦ペンディングして、札幌150峰が今熱いコモ子でした。