先日、日高山脈の1967峰を再訪した。これまでに2回登っているものの、最後に登ったのは10年前だったと思う。
国立公園に昇格した日高山脈にあって、1967峰の標高は3番目に高い。日高山脈において標高を語ること自体があまりないものの、それにしても知名度が低い。そのそもこの山は地形図に名前すらない。
ちなみに高さの1位は幌尻岳、2位はカムイエクウチカウシ山。それぞれ百名山と二百名山の最難関なんて言われている。
深夜1時半、道の駅で「今日はよろしくお願いします。」
道の駅「樹海ロード日高」に到着したのが24時半頃。
本日同行させていただくminaさんとは深夜1時半に待ち合わせをしている。ヤマレコで繋がりで相互フォローしているものの、リアルで顔を合わせたのはこれまで2回しかない。しかも山で偶然すれ違っただけなので、ご挨拶程度である。
この時間帯なら、普通は車中泊をするだろうけど、私はなるべく自宅で休んでから現地入りしたい派。短時間でもその方が仮眠効率が高いと思うからだ。
深夜の林道を歩き、沢沿いの道を行く。渡渉箇所もそこそこある。
話は戻るが、道の駅からは1時間かかった。
2台が連なってチロロ林道を走行し、約1時間で登山口へ到着。駐車スペースはすでに満杯、林道わきに縦列で停める。
深夜2時半に出発準備をしている人も多く、後続車も2台やって来る。そのうち1台はバイクだ。
ここから幌尻岳を日帰りするなら普通は日没近くまでかかるし、健脚者でなければ難しい。テント泊する人も多いものの、キャンプ指定地ではなくビバーグだ。この夏に国立公園に昇格したばかりだから、まだグレーゾーンという感じ。そのうち規制される可能性もあるだろう。
それでもこれだけ登山者が多い、しかも他県からの訪問者が多い理由は、糠平川ルートにある幌尻山荘のキャパの問題と、糠平川の増水リスクを回避したい、あとはコストの問題だろうか。それらの要因があって、ここから登るニーズが一定数あるのではないか。
そもそも百名山目当ての登山者数が全国的に増えているのかもしれない。
私もそうだが、LCCによって安く気軽に県外へ移動できるようになったし、道路網の整備で陸路の移動時間が早くなった。実際に新千歳空港でレンタカーを借りれば、チロロ林道の走行を含め、登山口まで3時間かからない。
タイトなスケジュールになるが、夕方に東京を経って深夜から幌尻岳に登り、翌日の夜に東京へ帰ることもまったく無理な話ではない。
最近はSNSによって情報が可視化され、本来マイナーだったやり方がメジャーになる、そういったことが起こっているのかもしれない。
この日の前半は厚い雲の下。尾根の取り付き地点までずっとヘッドライト必須なくらい、辺りが暗かった。
そして荷物が重たいせいかペースが捗らない。水分は全部で6ℓ担いでいるから、汗も大量に吹き出してくる。何より1カ月ぶりの登山となったこともあり、とにかくツラい。
トッタの泉に着くころにはクールダウンしてかなり楽になった。それからはいよいよ本調子になってきた。
お互いに夏も冬もソロで山歩きをしているから、この後は付かず離れずの距離を保って、「セミソロ」という感じで進めていくことにした。お互いが独立した登山者であるが、何かあれば助け合うことができる、そんなセイフティネットを確立している状態。必要以上に気遣いはしない、旧知の友や家族みたいな感じである。
北戸蔦別岳からピパイロ岳方向へ
北戸蔦別岳には午前7時半頃に着いた。登山開始からザックリ5時間くらいで見積もっていたから、順調である。
大半の人はここから戸蔦別岳を経由して幌尻岳に登る。95%、いや99%と言っていいかもしれない。
でも私達は反対側のピパイロ岳へと続く稜線を歩き、1967峰を目指す。ほぼ同時刻に到着したソロの方もそちらに向かった。結局この日は後にも先にもその方と私達2名以外にいなかった。
ちなみに私はここを歩くのは2回目、同行のminaさんは先月に途中の・1856まで歩いているそうだ。
さて核心部はここからだ。北戸蔦別岳の肩となる・1901までは低い背丈のハイマツ帯。
背丈が低いとは言え、これまでの登山道と比べれば一気に歩きにくくなる。両手を駆使する。まあ足だけでは歩けない。これぞ日高の縦走路という感じだが、これでも日高山脈では一級国道なんて言われているようだ。
背丈の低いハイマツ帯は歩きやすい反面、スネに枝がパチパチと当たって痛い。真夏でもタイツを履かないと外傷だらけになると思う。まあ、タイツを履いていても同じではあるが。
縦走路が稜線の東側に移ると、戸蔦別川の源頭部のお花畑となって歩きやすくなる。
しかしヒグマにとっても快適な場所なので、登山道も含めてヒグマによる掘り返しが無数にある。フンも散見される。警戒したいところだ。
振り返ると北戸蔦別岳がもうかなり遠い。地形図にある・1856の次には、それよりも高い1920のピークがあり、そこからは岩稜帯となって歩きやすい。
反面、北東側が切れ落ちている箇所もあるので、油断はできない。
北戸蔦別岳からおよそ3時間の道のり
北戸蔦別岳からおよそ3時間かかって1967峰に到着。ここで折り返し、復路も同じくらい時間がかかるから往復6時間はみておきたい。
これが大雪山ならどうだろうか。往復1時間ちょっとの距離だろう。
朝はガスの中だったのに、稜線歩きに入ってからは比較的晴れて穏やか。コラボ初戦はとりあえず成功したと言える。
遠くに十勝幌尻岳、札内岳、エサオマントッタベツ岳の稜線と、その手前に神威岳、もうひとつ手前に・1803が見えている。
ここ数年、日高山脈から遠ざかっていたので、山座同定しようとしても位置関係がパッと浮かんでこないものだ。
しかし眺めは素晴らしい。ここの冬景色も見てみたいし紅葉も美しそうだ。
このブログを書いている途中で再訪したくなってきたので、今度は9月下旬にピパイロ岳へ行きましょうと提案したら、快く引き受けてくださった。
帰路の岩稜帯から1967峰を振り返る。
左の高い山が1967峰、奥には台形型のピパイロ岳、その奥に伏美岳、さらにその右には妙敷岳。このうち妙敷岳のみ未踏なので、こちらは春に登ってみたい。
帰りの1920ピークを過ぎると、再びブッシュが濃くなる。
一つ下って登り返したところが・1856。
そしてもう一度下った辺りが核心部で、全身を使って進んでいかないとならない。そこからハイマツのトンネルを潜り抜けながら登り返すと、北戸蔦別岳の・1901だ。ここが疲れるところだ。
北戸蔦別岳からの長い帰り道
北戸蔦別岳に戻ると、往路で出会った男性が待っていた。行きのトッタの泉と北戸蔦別岳山頂でお話し、彼はその後幌尻岳をピストンしてちょうど戻ってきたばかりであった。
聞けば東北から来道し、休暇を取って道内の日本百名山を毎日登っているという。そして今日が9座中の8山目。明日は休んで最終日に羊蹄山に登られるようだ。なかなかタフでいらっしゃる。
数分でminaさんが到着し、キンキンに冷えたノンアルビールをいただいた。嬉しいサプライズが胃にも脳にも心にも沁みた。
ヌカビラ岳からの下山は日高らしい急尾根が続く。
二ノ沢に着くころにはすでに足がガクガクし、陽が傾いて薄暗くなりつつある沢を抜けると取水ダムに到着である。
ここから約1時間林道歩きをして、登山口に到着したのが18時。久しぶりに行動時間が15時間を超えてお腹いっぱい。
登山口で解散して札幌へ帰ったのが21時過ぎ。レンタカーに給油をして自宅で荷物を下ろし、会社の駐車場に車を停めて戻ったら22時を過ぎていた。そして翌日月曜は朝5時出社。さらに土曜まで6連勤で毎朝5時出社。
水曜になってやっと洗濯したり、シューズを洗ったり、荷物を片付けられたりしと思ったら、マダニを3匹確認した。と言うことはおそらく家の中にまだ数匹拡散しているだろう。
さらに洗濯機の中や衣類からハイマツの葉が無数に出てくるし、衣類やザックの汚れはもとに戻らない。
久しぶりに日高の山旅に刺激が入ったが、これが楽しいのだ。