先週末は楽古岳と十勝幌尻岳を再訪した。
イメージ的には楽古岳が中級、十勝幌尻岳は上級という感じだけど、ヤマレコのログを見てみると、獲得標高も距離も時間もそれほど変わらなかった。しかも平均的な斜度や、渡渉が皆無に等しいこと、土の地面とシューズとの相性が良くて登りやすいのはカチポロだと感じる。
内容はヤマレコにアップしたのでここでは書かないとして、前回のブログに続いて「歩く人が少なくて荒廃していく登山道の整備」について書いてみたい。
実際に倒木処理を体験してみる
今回の山行では、いくつかのウェアと道具の試用を兼ねていた。詳しくは先日書いたブログの中で紹介しているのでそちらに譲ることとする。
その中で登山道整備のためのナタとノコをお試し購入したので、さっそくそれらを持って出かけてみた。
ナタはその用途上、出番はほとんどない。ノコでは切れないくらい太い倒木で、かつ相当朽ちていれば刃を入れる方向によっては役立つかもしれない。
他方、ノコは結構出番がある。しかも軽くて荷物にならない。ザックのサイドポケットにポールの代わりに挿しておけばいいレベルだ。
新しい倒木では、枝の処理でノコの力が発揮する。塩ビ管くらいの太さであればサクサク切れる。もう少し細身の枝であれば、剪定ばさみでもいいだろう。
どんな道具が最適か?そんなことを一人で考えながら作業するのは楽しい。想像力が試される。登山の、いやアウトドアレジャーの新しい魅力を知れた気がする。長い間山歩きを続けていて壁にぶち当たっていたような感覚だったが、新しい扉を開いた感がある。
また、どのようにどのくらい処理すれば人間にとって機能的で安全、かつ自然との調和がとれるか、そんなテーマも奥深くて、創作意欲を刺激される。
例えば、倒木に繁殖しているキノコ類に目をやれば、無下に排除するのも気の毒だ。もしかしたら小動物の棲家になっていることもあるかもしれない。
無報酬であっても、楽しくて他人の役に立てる活動を見つけられたことは、とっても幸せなことだと思う。
登山者泣かせの笹
倒木はランダムに発生し、ある一定地域だけに大量に発生するとは考えにくい。だから対応は比較的容易だと思う。
一方で登山者泣かせの笹は、その分布範囲に偏りがあって、かつ広範囲で生育速度も速い。
これを個人レベルの活動で効果的に処理するのは難しいだろう。やはりエンジンの付いた昔ながらの草刈り機と人出を総動員して対処するのが最も効果的だと思う。
ただ、それでは登山道整備のためだけに道具を担ぎあげ、組織的な整備活動をする必要がある。
地元山岳会の高齢化や担い手不足によって、従来のこの方法では人口減少局面の時代では先細りになると思われる。
一部、NPOを組織して活動されている方々もいるし、ボランティアを募って活動されている方々もいる。これはこれで大変素晴らしく、心から称賛したい。
しかし、不人気の山の整備は優先順位が下がるだろうし、ボランティアを募集するための呼びかけや、集まった人たちへ指示したり管理したりという煩雑さも伴う。組織化すれば安全管理も疎かにできない。
みんなが同じタイミングで集まるというスケジュール調整も難しいだろうし、その日が悪天候だったら中止せざるを得ないなんてこともあるだろう。
私は登山者自らの活動によって登山道を維持するのが理想だと思っている。
例えるならば、道に落ちているゴミを拾うようなもので、そういう人が増えれば街がきれいになるのと同じだ。
訪れる人が少ない山や縦走路などにも手が行き届く可能性が高く、まんべんなく手入れしていくことに繋がると思う。
そもそも不人気の山やルートから登る人なんて、入門~初心者なわけがない。相応な経験者で年中山に入っているような人だろう。そういう人たちだからこそ、こういう役割を担えると思う。
活動のエッセンスは、
- 登山者が登山のついでに役割を果たせる。
- その内容も活動の大小も各自の事情に合わせて行う。
- 道具は自分で用意して持参する。
という点だ。
とにかく、まずは道具を持って行くことから始まる。
折り畳みのノコと鎌、剪定ばさみ、携行ピンクのマーキングテープ、ごみ袋。そんな荷物にならない。
ひとりひとりの力は微々たるものだが、多くの人が共感して自発的に活動すれば、きっと大きな成果に結びつくと思う。これで足りていない部分が生じれば、必ず誰かがより良い方法を考えるだろう。
笹を刈るには
個人レベルで笹を刈るには、やはり手鎌が最も現実的だと思う。
購入費用も僅かだし、軽いから負担にならない。
一人が1回の登山で1m区間の笹を刈ることができれば、100人で100m区間の笹がキレイに除去される。
笹は1年に2回くらい刈り込まないと、すぐに元の姿に回復するそうだが、それでもやらないよりはいい。北海道は雪が降るから、オンシーズンはせいぜい半年程度だ。
最近は電動ヘッジトリマーや電動ノコなんかもあって、動力源の課題も解消されつつある。一度に広範囲を一人で処理する必要なんてないから、こんな道具なら非効率だ、なんて自分を責めなくてもいい。自分が楽しみながらやれるのが一番良い。
中には剪定ばさみで1本ずつカットする人がいてもいいだろう。
とにかく1本ずつ、1カ所ずつ、コツコツやって積み上げていくことがこの活動の狙いなのである。
そして一人でも多くの人が自主的に活動することで、別の問題意識を持つ人やそれを解決する手段を思いつく人が必ず現れるから、登山道整備という活動そのものが大きく前進していく。
そういった視点で登山をする人が増えれば、他人が落としたゴミも拾って歩くようになると思う。山とトイレの問題、登山道わきの植物を踏みつけて別の道ができる問題、ストックによる損傷の問題など、全体的な意識の底上げにも繋がっていくように思う。
楽古岳も十勝幌尻岳も整備の手が入っていて歩きやすい。
それでも植生が笹からハイマツやダケカンバに変わる辺りの標高に達すると、笹によって足元が見えにくい場所も散見される。
登山口から2時間以上離れたそんな場所まで草刈り機を運び、そのために何度も往来するのがどれほど大変なことか。だからこそ、登山者自らが(次に訪れる人のために)整備をしたほうが良いと思うのだ。