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人はなぜ山に登り続けるのか?登山中毒とドーパミンによる快の感情との関係

高山植物

 

最近、ドーパミンについて触れられている本や記事を読む機会が何度かあり、たいていSNSの「いいね」に関連付けられて話題になっているようです。「いいね」がたくさん付くと、脳内麻薬によって快楽が得られるため、それを繰り返して中毒になったり、「いいね」がないと不安になったりという類の話。

 

つい先日読んだ本「『あれ、私なんのために働いてるんだっけ?』 と思ったら読む 最高の生き方」にもそのようなことが書かれていました。

 

 

さて「人はなぜ山に登り続けるのか?」(※注「人はなぜ山に登るのか?」とちょっとニュアンスが異なる)という問いを受けることがたまにありますが、みなさんはこの質問に答えられますか?究極の答えは自分にとっても未だにみつかっていないのですが、「山岳風景に魅せられて山に登っているのだと思う」という仮の答えを以前出したことがあります。

 

でもドーパミンの話を聞いてから、脳内麻薬とこの解とは密接な関係にあるのではないかと思ったのです。

 

僕たちが山で体験する残雪と新緑の山岳風景一面に広がる大自然のお花畑澄み渡る青い空と緑白一色でそこに山しかない世界、、、どれも非日常の極端な世界であって、桁外れの感動を覚える瞬間ばかり。

 

で、ここで大量のドーパミンが放出されるのではないかと思うのです。僕たちはこのドーパミンによる快の感情が忘れられず、それを得るためにせっせと山へ出かけるのではないかと。

 

しかもそれを感じる瞬間の前には、長距離の移動や重い荷物を背負ってのキツい登り。だから一層快楽が強く感じられるのかもしれないと。

 

そして冒頭のSNS。インスタFacebookにアップしていいねを貰う。ヤマレコYAMAPに記録をアップして拍手やいいねを貰う。SNSに投稿する人は多かれ少なかれこの評価を気にするものですし、たくさん貰えば気分がいい。ここでまたドーパミンによる快の感情が増すわけ。10年近くやっているとさすがに飽きてきたけれど、僕もそんな一人。

 

これは旅と一緒。

  • 行く前の計画で疑似的な体験で快楽を得て
  • リアルの体験でも、もちろん強い快楽を得て
  • さらに帰宅後のレビューで快楽を得て

と、それぞれに気分が良くなるのだから中毒性が高いのも頷けます。

 

だからこうした過程で登山中毒者へとなっていくのは至極当然であり、これはドーパミンによるところが大きいのではないかと思うのです。

 

趣味を通じて幸福感が得られるのは素晴らしいし、目標ができるのは良いこと。僕自身もいま現在、最高に幸せな人生を送っていると実感しています。

 

ただ一方では、快楽を求めるだけの登山であれば、本能的な性行為によって快楽が得られることと質的にはあまり変わらないような気もしていて。それはそれで否定されるべきことではないのだけど。

 

もちろんすべての活動に意義がある必要なんてないと思うし、楽しいから遊ぶのは間違っていないと思います。

 

うまく言い表せないのですが、登山で得られる快楽がドーパミンによる仕業で、それによって登山中毒になっているとしたら、自分の行動パターンが脳内麻薬によって操作されているみたいでちょっとイヤじゃないですか。

 

休日で天気が良ければ必ず山へ出かける私のようなタイプは、ちょっと冷静に自分を見つめ直してみるのチャンスなのかも。

 

 

「人はなぜ山に登り続けるのか?」

 

僕がここまでの文を書いてみて辿り着いた答えはやっぱり、、、

 

 

「気持ちよくなりたいから」

 

うーん、、、なんだかなぁ。

 

※注 学術的な根拠に基づいて話しているわけではなく、思いついたことをただ書き綴っただけです。独り言だと思ってスルーしてもらえると幸いです。

 

十勝連峰

十勝連峰に何度も行きたくなるのは、そこで大きな快楽が得られるからなのでしょう。そのように考えると、何だかシラケてきちゃうなぁ。すいません、変なブログを書いたしまいましたね。