今年はモノを断捨離してスッキリさせてきたいっぽうで、購入したモノもかなり多いと思います。今年の三大支出は間違いなくモンベル、Amazon、ピーチ。
もちろん私も転職を繰り返してきたので、年齢のわりには経済的な余裕はほとんどありません。ただそれでもこうして支出することができるのは、全部パーッと使ってしまうのが一つ。それと家や車を持たず、生活コストを限りなくミニマムにしてきたからです。
倹約家であり、いっぽうで浪費家なんです、私。
もちろん独身ゆえに子どもの教育費などがかからない、両親も健康というメリットは確かにあります。
ちなみに物欲はそれほどないほうなので、購入したモノのほとんどは長年使い続けてきたモノの更新目的です。デジタル機器以外は大切に使うことで10年くらいは平気で長持ちするので、新しいモノに更新しておけばその後の買い足しはほとんど必要ありません。
コロナ禍での生活防衛意識
さて、コロナ禍において今後の収入がどうなっていくのか、誰もが一度は不安に感じたと思います。私もそんな一人です。
あるいはインフレになって、お金の価値が相対的に下がることを心配をした人もいるのではないのでしょうか。
こういう時にとりわけ家族を抱えていると、出費を切り詰めて生活防衛モードに入らざるを得ないことは十分に理解できます。逆に自分は有り金を全部使い、必要なモノをすべて新しくしておくことこそが生活防衛なのではないかと考えています。
お金は万能なツールだからこそ万能なまま抱えこんでしまうのではなく、自分にとって必要な価値にさっさと替えてしまうべきだと思うのです。
お金ってあるときに使わないと、いつの間にか無くなっちゃいません?いざ、目的のモノを購入しようと思った段階になって、別の用途に消えていくじゃないですか。だから必要なモノは必要なときに購入しておく。そういう考え方。
モノだけではなく、体験なんかもそう。会いたい人に会っておくとかも。
趣味やレジャー用品も含め、生活に必要なものが揃っていれば、収入が著しく減ってしまい守りの生活をせざるを得ない状況に陥っても、まずまず文化的に暮らしていけると思うのです。
食べていくのが精一杯な状況になってしまったとき、必要なものや欲しかったモノが揃っていないと、きっと心のゆとりを生めなくなると思うんですよね。
私の場合はスマホなどのガジェット類とネット環境があれば、電子書籍や動画も楽しめるし、こうやってブログを書くことだってできます。それと学生の頃までは100%インドア派だったので、久しぶりに映画とかゲームにどっぷり浸かるのもアリだと思って。初期型のPS3を中古で購入すれば、レトロなゲームはひと通り遊べますからね。
また、1年間を通じて山で遊べる装備、自転車とランニングシューズがあれば身体を使った遊びだって一通りできます。私の趣味なんてそのくらいなので。
遠くへ行って遊ぶことも趣味ではありますが、経済的にそれができない状態になっても行動範囲を狭めるだけの話なのでなんとかなります。
日本人は「いざ何かあったらどうしよう」と、漠然と不安を抱えてお金を貯め込むなんて言われますが、私は独身なのであまりそういうことは考えません。すべてがシンプルなので、自分に起こり得そうなことなんて大体想像できるので想定内です。
しかし「明日もこうして健康で生きていられるかどうかは分からないから、今できることは準備しておこう」とは考える。
だけど冷静になって考えてみると、漠然とした不安なのか、具体的になっている不安なのかの違いであって、本質的には将来に対する不安という意味では一緒なんだと思えてきました。
こうやって整理して考えてみると、私自身なんとなく攻めの人生を歩んでいるようで、実は守りなんだなと思えてきて、自分が小さい人間に見えてきたのでした。
2018年に訪れたカンボジアのアンコール遺跡群。5万円くらいの比較的高価な買い物という意味では、それがモノであっても体験であっても必要なら早めに手に入れるべきだと思う。体験もこうして記憶に残るので、モノと一緒じゃないだろうか。