日本中が沸いたWBC。
選りすぐりの超一流たちが世界で活躍する姿に人々は感動し、勇気を貰ったと思う。
でも、彼らと自分との立ち位置を確認するとあまりにもかけ離れていて、ついつい画面の向こう側の世界の人っていう印象を受けたのではないか。
だからオリンピックなんかでも、「感動した、以上。」でいつも終わっちゃうんだと思う。
一方でプロの中でも二流の人やアマチュアの上位クラスの人となると、親近感がわいてくる。
このブログのテーマの一つである登山やマラソンを例にすると分かりやすい。
ヒマラヤの8,000m峰に登るような登山家だと、自分とは世界が違う人だと思ってしまうが、日本百名山に登ったとか、3000m峰を全て登ったとかという話だと近くに感じるものだ。
田中陽希さんがあれほど注目されたのは、彼がその世界のプロでありながらも、自分たちと同じフィールドで行動し、届くかもしれない存在に感じたからではないか。良い意味で凡人の私たちに寄り添ってくれたんだと思う。
マラソンでも同じで、2時間台前半で走る人はもはや雲の上の存在に感じてしまうけれど、サブ3あたりのランナーであれば届くかもしれない存在に感じる。
英会話なんかもどうだろう?
TOEIC730点くらいの人たちの学習方法や失敗談の方が、多くの人たちにとって参考になるんじゃないだろうか?
こういう人たちは、数値結果だけで判断すると二流、三流という評価になってしまうのだけど、私たち凡人にとっては十分すぎるほど立派なレベルだ。見習うべき対象はこういう人たちだと思う。
飛び抜けた結果が出せないけれど、努力は十分に一流。
求める結果を出すことにコミットして、生活の多くを犠牲にして全振りしていることが多い。
そんな彼らがどんなレースに出て結果がどうだったということは表に出るが、そこに至るまでの練習内容がどうなのか、日々何を考え、何を食べてどんなケアをしているのか、そういう話は明るみに出ないことが多い。
地味な話はメディアには乗らないし、本人が積極的にSNSで発信でもしなければ、まず人の目に触れることはない。
これはもったいないと思う。
そして私たちはそういう二流や三流の人たちから学び、行動し、そしてやっと世の中の大多数から一つ飛び抜けて四流とか五流になれる。
フルマラソンを完走した経験があるとか、富士山に登ったことがあるとか、そういうステージに立つことだ。
伝えたいことは、それ以下の大多数の人たちの心に刺さったり、寄り添ったりできるのは、四流とか五流の人たちのやっていることやストーリーだってことだ。
私がいまやっている山歩きや海外マラソン、ひとり旅、ブログ、YouTubeなんかもすべて四流や五流、それ以下だけど、だからこそ大多数の方の役に立てるような内容もあると信じて続けている。
SNSではある一瞬の姿しか映し出されないので、たいていの投稿は自分にとってイチ押しの姿に偏りがちだ。
一方でブログやYouTubeはどうでもいいようなことも含めて長尺にできる。
タイパなんて言葉があるように、最近は短い時間でエッセンスだけを手に入れようという傾向があるけれど、私はそもそもそんな人たちを対象として書いたり発信したりしていない。
一部の刺さる人たちに向けて今後も粛々と発信していくつもりだ。
また、長きにわたって読んでくださっている方ならご存じの通り、内容に一貫性がなかったり、迷いがあっていろいろと手を広げてみたり、更新頻度がバラバラだったり、そういう姿もまた四流、五流以下の人間だということの証左だと思う。
つまり世の中大多数と同じ、一人の弱い人間だということ。
そんなことを感じたので書いてみた。
ちなみに私は野球観戦は全くしないし、冒頭引き合いに出したWBCも全く見ていないことを最後に付け加えて締める。