
3日前、ヤマレコ繋がりのmさんと1839峰に登ってきた。2025年7月13日のことである。
実質的に日帰り山行で、山行時間はおよそ25時間にわたった。
記録は彼女がヤマレコに上げてあるので、このブログではヤマレコで触れなかったような話を中心に書く。
水とアミノバイタルの話

長時間の山歩きでは、いかにしてカラダを好調な状態で保つかがポイントだと思っている。
水が不足すると如実に動きが悪くなるし、継続的にアミノバイタルを摂取することで疲労をある程度抑え込めている気がする。また、翌日以降の回復も早い。今回の行動時間は24時間を超えたが、下山した14日3時の段階では寝不足と疲労、筋肉痛やら何やらで酷い状態だった。しかし翌15日は仕事中も快調で、夕方の段階で70%くらいまで回復したように感じる。これを書いているのは16日だが、行こうと思えば山に登れるくらい回復した。
さて、有酸素運動では水を1時間当たり500㏄~1リットル摂取するのが良いらしい。でも登山では自分で担ぐという負担があるから、どうしても減らすきらいがある。実際、重量が負担となって行動不能に陥り、救助された事例もあるという。
私が持参する量は1時間に300㏄を目安に計算している。
それでも今回の計画時間は20時間なので、下振れして30時間行動することも考え、300㏄×30=9リットルを担いだ。尾根に取り付くまでは沢歩きだから、その気になればいつだって水は確保できるし、ヤオロマップ岳にも少し下りれば水が確保できる場所がある。
行動開始時の気温は12℃しかなく、行動開始から5時間半後のコイカクの夏尾根頭まで1リットルしか消費しなかった。
そこで4リットルをコイカクシュサツナイ岳山頂にデポし、5リットルを持って1839峰を往復したのだが、やはり気温が上がってほぼ全量を消費した。油断は大敵だ。これが一つ目の反省点。
出発時間と帰着時間の話

同行のmさんとは1時30分に道の駅なかさつないで待ち合わせをしていた。
私は前日の17時に寝て、22時出発で現地へ向かう。ここ数年、自宅から山へ行く場合、基本的に車中泊をせず、自宅で寝てから移動するようにしている。そのほうが調子が良い。私にとって、睡眠の質を重視した最適解だ。
mさんと1839峰をご一緒する計画は、すでに昨年の段階で決まっていた。私は2002年8月に一度登っているので、あのツラい行程をもう一度やると思うと、少し気が滅入る。でもこういう機会がなければなかなか二度目は訪れない。
具体的な日程は決まっていなかった。随行させていただく予定のイドンナップ、神威、カムエク、1839峰のうち、一番最後になるのが1839峰だと勝手に考えていて、8月の盆明け以降か、9月上旬、どちらも秋の訪れを感じる涼しい頃だろうとのんびり構えていた。
再訪したいという気持ちがある反面、その頃はちょうど台風シーズン。悪天候で計画が流れてスッキリしたいという気持ちも実は少しあった。
さて前々週にイドンナップ岳に登り、予備日として充てていた7月13日と14日が空いた。ちょっと早いかもしれないが、この日にカムエクをやってしまおうということになった。
ところが7月初旬の段階で、今年に入ってカムエクに登っている人の話を聞かない。一方で6月下旬に1839峰に登っている人が多数いること知った。結果、急きょ1839峰に計画変更となった。
ただ、問題は日帰りでやりたいと打診されていたことだ。
そんなこと出来るのだろうか?という疑念があったが、本人がやれると言うのだからできる気がしてきた。
彼女の凄いところはSNSを駆使して近年の傾向や直近の状況をウォッチしていることだ。積極的に人とも絡むからファンも多いし、情報が集まるという好循環が起こっているようだ。1839峰を日帰りできるというのは、そんな近年の傾向を把握していることによる裏付けがあったのだ。
一方の私はどちらかと言えば、古い時代の登山者なのかもしれない。情報は書物を頼りにし、ウェブ上の情報はあまりあてにしていない。自分がこういうサイトを運営しているのもその理由なのかもしれない。それだから、最近の傾向やリアルタイムな情報が乏しいのだろう。1839峰を日帰りで踏破するという選択肢は、私の固定観念の枠外にあった。

最大の懸念は、行きも帰りもコイカクシュサツナイ沢を深夜の時間帯に通過することだ。
私にとって暗闇の沢を歩く経験は皆無に等しい。未知のことには身構えてしまう。暗い中で水の音が大きくなっていくとか、ザーッと滝の音が聞こえるだけで恐怖心すら抱く。
ところが実際に歩いてみると、うろ覚えなコイカクシュサツナイ沢の記憶とはまるで渓相が違った。広い河原にいきなり水がない。しばらく歩いて気付いたのは伏流になっているということだった。楽チンである。
何度も何度も捲き道を歩いた記憶とも異なっていた。しばらくして現れる堤防と、1か所の函だけだった。
これは帰りも楽勝だと思っていたら、帰り道の方が苦戦して2時間半近くかかった。私にとっての河原歩きは下りの方が難しいようだ。
帰り道の話をすると、寝不足で何度も幻覚が見えたり、幻聴が聞こえたりした。倒木が案内標識や堤防に見えたり、川の音からラジオの雑音や人の歌声が聞こえたりする。ヘッドライトで周辺を、ハンドライトの光で遠くの地形を確認しながらフラフラ歩く。
たまにハッと気づいて後方にいるはずのmさんのヘッドライトを確認する。明かりが見えないと焦る。ソロ登山とパーティ登山のハイブリッドな「感覚」と「間隔」を維持したまま、形式上パーティの体を成す。日高山脈ではこれが案外難しい。
コイカクシュサツナイ岳夏尾根

このコースで最大の難関は、コイカクシュサツナイ岳の夏尾根だというイメージが強い。
しかし実際に歩いてみると、ほぼ3時間で登りきれた。荷物は約18kg背負っていたが、ゆっくり歩けばいいだけだ。急登だが標高差は1,100m程度だし、距離は短い。
振り返るとピラトコミ岳、奥には十勝幌尻岳と札内岳が見える。カチポロは日高山脈の中では難易度がそれほど高くないので軽く見られがちだが、どこから見ても雄大で美しく、そして存在感がある好きな山の一つだ。

通称、夏尾根頭に着くと目の前が一気に開けて、1839峰の姿が飛び込んでくる。
この感動は、合戦尾根を登りきって突如として現れる槍ヶ岳や、ニペソツ山のそれにとても似ている。

1839峰。これを見るだけで心が躍る。たまらない。

こちらはヤオロマップ岳。コイカクシュサツナイ岳と1839峰の中間に位置し、そしてあまり目立たない。そんなところが、石狩岳とユニ石狩岳に挟まれた音更山のそれに似ているかもしれない。
私はそんなヤオロマップと音更山推しである。もう一度登りに来てもいいと思う。

ヤオロマップ岳の反対側には、1823峰と奥にカムイエクウチカウシ山が見える。
23年前に来た時、私はまだこの両方の山に登ったことがなかった。そしてその12年後にカムエクに登ったが、1823峰は未踏のままだ。ずっと憧れを抱いている。そのくらい23年前に見たときの感動が今でも忘れられない。
カムエクは来月にmさんと登るとして、1823峰は別途来るしかない。気持ちが高まっている年内にやったほうが良さそうだ。

私がこの眺めを見て感動に浸っていると、mさんが到着した。
休む間もなく、稜線上に続く道へ飛び出して行った。そう、彼女の狙いはコイカク。96座目の北海道百名山がすぐ目の前にあるのだ。無理もない。
私も90座くらい登っているが、ハッキリとは覚えていないし、百名山へのこだわりはもうどうでもよくなってしまった。その点、彼女は目的意識と目標管理がしっかりしていて、またその執念と行動力にも感心する。きっとこういう人が大きなことを成し遂げられるのだろう。
コイカクシュサツナイ岳

山頂は無人でテントも無かった。
でも昨日から入っている人がいるのは確実に分かっていた。夏尾根で私を追い抜いて行った人たちも複数人いる。みんなヤオロマップでテント泊をしているか、日帰りなのだろう。

コイカクまでは必ず戻ってくる計画なので、山頂に水4リットルとテント、シュラフカバー、mさんのシュラフやツェルトを入れたアルチプラノパック30とストックをデポし、アタックザックで1839峰を往復する。
このザックはこれまでに背負ってきたどれよりも優秀だと思う。一昨年、台湾の雪山に登る際に購入し、それ以降もマレーシアのキナバル、欧州のツールドモンブランでも使用してきた。かなりの重量になっても、カラダにフィットしてとても安定する。チェストストラップの長さがもっと短くなれば100点満点をあげたいくらいだ。
そんなザックをデポする際、ヒグマに悪戯されないように、一切の食料もゴミも残さない。
それでも奪われたら貴重な水を失う。万一ビバーグする状況に陥っても、テントを失うからそれもできなくなる。その場合、詰むかもしれない。
リスクに対する考え方や、許容度は人によって異なる。未知の将来に対して楽観的か悲観的かという態度も異なる。私は山ではかなり悲観的だと思う。
ちなみに、ヒグマと遭遇する可能性やマダニに咬まれる可能性について考えてみると、同行のmさんは熊撃退スプレーを持参し、虫よけスプレーを丁寧に振りかける。
一方で私はヒグマとの遭遇より、放置した装備がヒグマに奪われる方が怖いと感じる。そもそもヒグマと近距離で遭遇する確率は相当低いし、遭遇しても彼らは逃げていくと思っている。
そもそも襲われるくらい至近距離まで接近された時、とっさにスプレーを出して撃退行動ができるかどうかが疑問だ。消火器やAED、車の発煙筒など、まさかの時に使うものは、事前の訓練無しではたいてい使うことができない。ましてやそこに緊急性があり、切迫感と恐怖も加わるのだ。交通事故で自分が加害者となり、負傷者も発生した場合、とっさに適切な行動が起こせるだろうか?撃退スプレーをこういう状況下で効果的に使えるとは思えない。
相手に襲われるかもしれないという感覚に関しては、虎や野犬に遭遇するほうがずっと怖い。まあ、北海道に山に虎や狼は出ないだろうが。
マダニに咬まれるのは確かに嫌だが、スズメバチの方が怖いし、クモやクモの巣が大嫌いだったりする。
どちらが良いとか悪いとかではなく、そんな感覚の違いや多様性が面白いし、学びや驚きがあるのだ。
ヤオロマップへ

通称、ヤオロマップの窓を通過すると、再びハイマツ帯の登りとなる。振り返るとついさっきまでいたコイカクシュサツナイ岳がだいぶ離れて見える。
計画では再びコイカクへ戻るのは、9時間後の17時だった。でも実際の戻りは計画より3時間以上超過していた。全行程に占める割合は15%くらいだから、大きな誤差ではないかもしれない。
ただ、7月13日の帯広の日没時間は19時4分。航海薄明は20時23分に終了する。ちょうどその時間にコイカク山頂にいたことになり、実際は夜である。ヘッドライト無しでは行動できない。
コイカク~ヤオロ、ヤオロ~1839峰への所要時間の見積もりについて、計画時に二人の間で相違があった。
mさんはアタック装備という理由もあり、楽観視していた。良い意味での希望的観測だったのかもしれない。私は現実的にコイカク~ヤオロが2時間半、ヤオロ~1839峰が3時間かかると思い、合計11時間を要すると考えていた。休憩時間もあるので、結果はそれよりもさらに時間がかかった。
mさんは自身が遅れて時間がかかったと思っていたようだったが、それは違う。私だって本気で歩いていた。ひとりで行動していても、おそらく結果は同じだっただろう。
この区間で問題になるのは、心肺機能や足の強さといった体力ではない。
ハイマツや灌木、岩場など、障害物をうまく通過していく能力だと思う。バランス感覚や技術、付け加えて視力なんかも関係するように思う。そしてこれは身体の大きい男性の方が有利に働くことが多いし、若い人のほうが圧倒的に強い。したがって、登山というスポーツもやはり例外なく、加齢こそが最大の敵なのだろう。そう痛感している私がいる。
脱線したが、所要時間の話に戻す。
よほど緊急でもない限り、夜になっても歩き通して帰るという合意形成をしていたので、正直言って何時に下山しても良かった。
ただ、周囲が明るいのと暗いのとでは状況が異なるのは確かであり、どのタイミングで暗くなるのかについて、あらゆる想定をしておいた方がいいと思っただけだ。
しかも稜線歩きである。夕方になってガスが湧いてきたり、天候が崩れて急な雷雨に見舞われる可能性が無いわけではない。だから可能な限り正確に見積もって計画したほうが、想定外が起こりずらい。
ちなみに参考までに主要な書物による情報を紹介する。
・北海道夏山ガイド④ 日高山脈の山々(2012年5月30日 最新第2版1刷)によれば、コイカク~ヤオロは往路も復路も2時間30分、ヤオロ~1839峰は往路2時間50分、復路2時間40分とある。
・北海道の百名山(2000年5月発行)では、コイカク~ヤオロは2時間、ヤオロ~1839峰は往復5時間の記載がある。復路のヤオロ~コイカクについては言及がないが、往路と一緒と考えれば合計で9時間程度ということになる。これがmさんの見積もり時間に最も近い。
・北海道百名山(1999年8月 第3刷)では、コイカク~ヤオロは2時間30分、ヤオロ~1839峰は往路復路ともに片道2時間20分の記載があるので、合計9時間40分だ。
・新版北海道の山と谷2(2018年7月1日初版)では、各行程3時間になっていて、合計12時間。私はこれが最も現実的な数値だと思った。

手前がヤオロマップの山頂。右奥に見えるのは1781ピーク。

振り返るとコイカク、1823峰、カムエクと主稜線の山々が連なって見える。

ヤオロマップ岳の山頂には2組がテントを撤収中で、1名の方はソロだった。その前にも2名パーティともすれ違ったので、昨日は合計3組が山中泊をしていたことになる。
mさんが到着するまで、彼らと挨拶程度にお話しさせていただいた。先行する方々はすでに1839峰に向かって出発したそうだ。そして、やはり昨晩は寒かったと聞き、私も計画通り歩き通して下山したいと改めて思った。何としてもビバーグ的なテント泊は避けたい。
10分程度でmさんが到着し、まずは山頂で記念撮影。次いで撤収中の方々と山座同定が始まる。

ルベツネ山が近くに見え、ペテガリ岳の山頂がちょこっとだけ見えている。神威岳やはるか遠くにピリカヌプリらしき山容が確認できる。
途中の1599峰手前からルベツネ山への稜線は、日高山脈の主稜線の中で最もブッシュが濃いそうだ。
近くに見えているが、前出の新版北海道山と谷2によれば、ヤオロ~1599峰の所要時間は6時間、1599峰~ルベツネにさらに6時間、ペテガリまで5時間かかるらしい。
ペテガリまで僅か8.6kmの区間を17時間もかかるなんて、もう、怖ろしいというしかない。怖いもの見たさでやってみたい気もするけれど、世の中には知らないほうが幸せなことだっていっぱいある。全部を手中に収めようとしてはいけない。何事にも適度とか、潮時というのがある。たぶんここから先の区間は、私が踏み入れるべき場所ではないだろう。
1839峰へ

ヤオロマップの山頂から1781ピークまではアップダウンが少なく容易に見えるが、ここまでの区間より一段階歩きにくくなる。
すでにスネも大腿部もアザだらけで痛むが、お構いなしに飛び込んでいかねばならない。
1781ピークからは一気に下る。そしてここから見る1839峰は、遠くから見るいつものカタチとは異なって端正だ。

何度も何度もアップダウンがあって疲れるところだ。北側に目を移せばカムエクの西南稜やピラミッド峰、コイボクカール、奥には幌尻岳も確認できる。それ以外は無心で進む。そして時間がどんどん経過する。

直下の登りに高度感を感じて及び腰になってしまった。でも、帰りのことは気にせず登りきってしまう。やがて1839峰の頂上に。予想通りヤオロマップから3時間かかった。
少し遅れてmさんが到着し、ジョッキ生のノンアルコールで祝杯。フタを開けた瞬間、すごい勢いで泡が吹き出し、まるでF1のシャンパンシャワー状態だった。
帰路は移り行く景色に感動

復路のヤオロマップ到着時刻をザックリ17時に修正して歩き始めた。
ガスがどんどん湧いてきて、山々が隠れたり再び現れたりする。山の気象は変化が早い。一方で自分たちの現在地はあまり変わらない。気持ちが焦る。

でも、お花畑に小鳥たちのさえずりが聞こえると、そんな焦燥感を抑えてくれる。

ヤオロマップ岳に戻ると、ゆうに17時を過ぎている。まだまだ陽は高く空は明るいし、十勝平野方面には雲一つない。変化が早いのは周囲の山岳地帯だけだ。天気は崩れないだろう。焦らず、着実に帰ることを心がけよう。

気付けば周囲は雲海だ。ルベツネやペテガリが雲に浮かんでいる。泊まらないと見られないような景色まで手中に収め、最高に贅沢な日帰り山行をしていることに気付かされる。

歩みを止めず、先へ進む。振り返ると雲海に浮かぶ1839峰。

進行方向も主要なピーク以外は雲の下になった。これから歩くコイカクへの縦走路も例外ではない。滝雲も観られ、実にミステリアスである。

やがて地平線に陽が沈む。夜がやって来る。朝からずっと西寄りの風が吹いていて、気温が下がってくると寒いとすら感じるようになってきた。
1枚重ね着をしてヘッドライトを装着、水や行動食が手に届く場所にあるか、スマホや車のカギはあるかといった基本的なことを今一度確認する。暗くなってからでは遅い。
mさんとの在所確認も頻繁に行う。彼女はベテランなのでハプニングが起きることは想定していないが、はぐれてしまったらお互い困る。暗くなると光と声以外に連絡手段がないからだ。
夜間行動

いよいよ本格的な夜間行動の開始。
最低コルからコイカクシュサツナイ岳への登り返しは標高差にして僅か160mくらいなのに、果てしなく感じる。周囲が見えないということは情報量が少ないということ。いかに私たちが目から入ってくる情報に頼っているのかが分かる。

デポしておいたザックは12時間前と同じ状態だった。ひとまず安堵する。装備をまとめてすぐに出発する。
夏尾根頭までの区間で少し低い場所を下っていく。下降ポイントを過ぎてしまったのではないかと不安になった。GPSがなければ、即座に現在地を確認することが出来ない。歩測や時間でどのくらいの距離を歩いたかを確認するといった基本のキも、テクノロジーの進化によって疎かになっている自分がいる。これも反省点である。
一方で私も50歳を過ぎて、山に登るのはあとせいぜい10年くらいになった。そう考えると、無理のない範囲で登れる山に絞り、エラーがあっても致命的にならない範囲で遊べばいいと思う私もいる。
尾根を下り始めてしまえば、その後の危険ポイントは標高1500mあたりの岩場だけだ。過ぎてしまえば、あとは急な尾根を我慢すればよい。
標高800mくらいまで下がった辺りで、mさんが後ろで激しく転倒したようだ。音で分かった。立ち止まって後ろを振り向くと、しばらくして大丈夫ですと言う。
ヘッドライトに虫が集まって酷いので、明かりを消してその場で待つ。すると彼女が薮の中で何かを探していることに気付いた。登り返して一緒に探すべきか迷ったが、しばらく静観していた。後で訊くと、ストックとスマホを落としたらしい。結局見つかって良かったのだけど、夜間はお互いの距離をもう少し縮めるべきだったかもしれない。そうすればすぐに応援に駆け付けられた。これも反省点。

ほぼ予想通りの深夜0時にコイカクシュサツナイ沢まで下り、沢靴に履き替えて再び歩き出す。その後については冒頭に書いた通り、あまり記憶がない。必要以上に渡渉をを繰り返したり、函や堤防の捲き道を見つけるのに時間がかかったり、最後の林道への入口を見失ったりして、mさんにはかなり迷惑をかけた。
駐車場に到着したのは午前3時を過ぎており、空は明るくなり始めていた。
駐車場に私たち以外の車はなく、ヒュッテ前に泊まっていた車の前で持ち主が外で支度をしていたようだった。疲れて話すのも面倒だったので、詳細は確認していない。
マダニと睡魔との戦い

mさんとはお互い寝不足と疲労で挨拶もそこそこに、私は沢靴やストックを外に出したまま着替えて車中で寝た。秒で落ちた。
寒くて目が覚めると4時を過ぎており、1時間程度寝ていたらしい。後方に縦列駐車していたmさんの車はなく、出発したようだ。過労運転で大丈夫か心配になった。

ふと右の上腕部を見ると、内側にマダニが付着して吸血中だった。またか。

いつものことなので虫刺されクリームで窒息死させようと試みる。
効果はあったが、時すでに遅し。剥がれてはくれない。諦めて帰ってから皮膚科へ行って取ってもらうことにした。途中でお風呂に寄りたいので、大きめの絆創膏で目隠しをしておく。
ちなみにマダニの処理には1,540円かかった。せっかく高速代をケチって日勝峠越えで帰ったのに、追加費用にちょこっと腹が立つ。
液体窒素で表面を瞬間冷凍し、ピンセントで挟んで反時計回りに何度か回すときれいに抜けた。マダニはライム病の感染リスクがあると聞くが、早期に処理した場合は感染リスクはほぼ皆無らしい。何らかの症状が出たら、別途受診すればよいだろう。

早朝の直射日光の光が眩しくて目がしばしばするので、中札内の道の駅で追加で1時間半くらい眠り、その後は芽室のセブンイレブンで朝食を取って日勝峠を越える。
行動中、パン2つとアミノバイタル6~7個、一本満足バー5本、バターピーナツ以外食べた記憶がない。

さらに道の駅樹海ロード日高のセイコーマートで豚丼を食べて10分仮眠し、夕張でも20分仮眠し、札幌には13時に着いた。その後は厚別のたまゆらでお風呂に入って、帰宅して荷物を下ろしたらレンタカーを返しに行って、皮膚科に行って終了。
ビールを飲んで19時には寝た。
こうして振り返ってみると、1839峰の日帰りはやはり無理があるように思うし、反省点も多い。
でもこんな感じで実際にやっている人がいて、みんなそれをSNSやブログなどのメディアで発信するから、後に続く人が現れる。これはSNSの功罪だと思う。
しかし、私が登山をやり始めた25年前の段階でも、PCでホームページを作ってネット上に情報を上げていた人もいたし、メーリングリストで情報交換しているグループもあった。当時、私もGatewayのwindows98のPCにPHS回線でインターネットにつないでヤオロマップの水場について調べた記憶がある。
要するに誰でも情報を発信する時代になり、簡単にスマホで情報収集できる時代になったというだけで、本質は変わらないのだと思う。それならばいっそオープンにしてしまったほうが良いとも思う。
大切なのは、自身の体力や技量を正しく評価し、自分にもできるのかどうかを客観的に判断できるかどうかなのだと思う。
でもどれが意外と難しく、真似をして間違って事故に遭遇してしまうと、本人だけではなく発信者にも批難の矛先が向き、時には謝罪までしなくてはならなくなるのが現代だ。そこがウェブ上で情報発信するうえで、私も一番気を使ってしまう。
リスクについても冒頭に書いた通りだが、私が大切だと思うことは、山はいつだって怖ろしいということ。体力や経験も含め、しっかりと準備をしてリスクを最小限に抑えたい。
イドンナップ、1839峰に続き、次はカムエクに登る。