9月2日から19日までイタリアとドイツへの出張があり、ついでに休暇を取ってハンガリーのブダペストハーフマラソン参加と、TMB(ツールドモンブラン)のハイキングをしてきた。
自分にとっては、2週間以上にわたって海外で滞在したのは初めてだった。
仕事と趣味、複数人での行動とひとり旅、こんなのをミックスさせるとどんな気持ちになったり、どんな教訓が得られたりするのか、そんな経験もしてみたかった。
物価が高い欧州での滞在には確かにお金はかかったが、アジア圏とは違った旅ができて本当に良かった。
それぞれの詳細は別の機会に書くとして、まずは全般を通した備忘録を書いておこうと思う。
札幌から東京、そしてフランクフルトへの長旅
9月2日、長い1日が始まる。
地下鉄の始発前、自宅から重たいキャリーケースを引きずりながら、徒歩で大谷地駅まで移動。ちなみに私は基本バックパッカーなのでキャリーケースを持っていない。会社の備品である。
まずは7時30分発の羽田行きに乗らないとならない。空港到着が6時45分。自動手荷物預け機で荷物を預けようとしたら、わずかにサイズが大きいらしく、受付カウンターに並ぶように指示された。
並んでやっと自分の番が来たかと思ったら、「国際線への乗り継ぎがあるため、あちらのカウンターで受付してください。」とのこと。
今度はそちらのカウンターへ行くと、「キャリーケースの重量が25.5kgあるので、中身を23kgに減らしてください。でもあと4分で受付は締め切りになります。」だって。
慌てて商用サンプル約10kgが入ったバッグを取り出し、ギリギリセーフ。
このように今回の旅では「時間ギリギリ」の場面が何度かあったのだけど、結果から先に言うと3回目は間に合わずに乗り遅れることになってしまった。
さて新千歳から羽田入りし、今度はルフトハンザ航空に乗り継いでまずはフランクフルトへ。北極回りで14時間もかかる長時間フライトはなかなかツラい。
日本とは時差がマイナス7時間あるので、同日の19時過ぎにフランクフルト入りした。
空港からシャトルバスに乗って最寄りのホテルへ移動。
翌朝も早朝にミラノへ移動しないとならないため、ホテルでは上司とビールを1杯だけ飲んで相部屋で寝た。
計画段階では同日中にミラノへ飛んで、ミラノのホテルに泊まることも検討していた。でもフランクフルトのほうが周囲へのホテルへのアクセスが良く、料金も安かったのである。
イタリアで過ごす4日間
翌朝はホテルを早朝5時に出発するシャトルバスに乗ってフランクフルト空港へ。ルフトハンザの小さな機材(A319-100)でミラノマルペンサ空港へ移動する。ここでドイツ駐在のメンバー2名と落ち合う約束である。
これまで欧州へ行ったことがなかった私は、EUの国々はどこも似たり寄ったりだと思い込んでいた。しかし実際に行ってみると、ドイツとイタリアとではまるで違う。日本、中国、韓国を一括りにしているのと同じレベルの見方だったんだと気付かされた。
ちなみにフランクフルトーミラノ間のフライトでは眼下にアルプスの山々が見える。この日は曇っていて叶わず。ところが帰りのフライトでは雲海に浮かぶアルプスの山々が見えていたのに、通路側のC席だったのが残念でならない。
ミラノに到着した9月3日はミラノ市内、4日はトリノで仕事をしてパルマへ、5日はボローニャへ、6日はボローニャで仕事をして夕方にメンバーと分かれた。
それぞれ仕事もしたし、合間にかなり観光もした。連日深夜まで続き、睡眠時間は平均5時間程度。早朝街ランをする余裕もないほどだ。
ミラノではドゥオーモも見たし、世界一美しいと言われているスターバックス、ボローニャではフェラーリの博物館なんかへも行った。
美味しいものもたくさん食べさせてもらった。
ピザもパスタも食べたし、パルマではチーズや生ハム、クロワッサンもティラミスもピスタチオのジェラードも食べた。ビール党の私が毎晩ワインも飲んだ。
現地企業の方々と、ローカルなレストランで食事を共にする機会もあった。
食に関する仕事をしているのだから、食べることは大切な仕事である、と正当化しておこう。しかし本当に毎晩胃薬を服用するほど常に満腹なのである。
イタリアはどこへ行っても食事がうまい。そして食文化も異なる。
例えば朝は店頭のカウンターに立ったままカプチーノを飲み、クロワッサンを食べている。
レストランではまずは炭酸水を注文し、前菜を食べてからメイン、最後にドルチェとエスプレッソという食事が普通だった。
仕事の話は詳しく書かないが、私の勤め先は食品会社である。そんな世界に私たちの日本食材を展開していこうとしているのだ。ハードルが高いが夢があってやりがいのある仕事だ。
単身ブダペストへ
週末の9月7日はミラノからWizz airに乗ってブダペストへ移動した。
実は前日の6日、ボローニャで17時過ぎに商談を終え、18時半にボローニャ空港で一旦メンバーと分かれた。彼らはドイツのデュッセルドルフへ、私ひとりはボローニャ中央駅から19時11分発の新幹線でミラノへ戻ることになっていた。
新幹線のきっぷは事前に取得済みである。早割があるので安く取得できたが、直前に購入すると2倍くらいに跳ね上がる。
ボローニャ空港からの移動はモノレールで10分もかからない距離である。
しかしなんとモノレールが運休中になっている。
バス乗り場へ行くと、次の出発は18時55分である。しかも中央駅に行くのかどうかすら分からない。これはさすがに詰んだか?
慌ててタクシーに乗る。相変わらず高速道路は渋滞中だ。すでに19時を過ぎている。手に汗握る。
それでもなんとか19時05分に到着。タクシー代18ユーロのところにさらに5ユーロのチップを渡し、ダッシュで駅に入る。
事前にボローニャ中央駅は構造がとても複雑で、新幹線乗り場は地下の奥深くにあると聞かされていた。
地下深くて遠いのは走ればなんとかなる。ソウルの空港鉄道だって地下7階くらいにあるのだ。
ところが構造が複雑なのには参った。
地下3階くらいに行くと、なぜが駐車場が現れたりするのだ。改札がないということは、日本では常識外のことができるわけだ。
結局19時11分出発の新幹線に乗ったのは、19時12分。乗った瞬間ドアがピシャっとしまった。間一髪である。ツイている。
話を戻す。
9月7日の午前中にブダペスト入りし、ビジネスリュック一つでまずは観光。大きなキャリーケースはミラノのホテルに有料で預かってもらっている。
ブダペストは本当に美しい街だ。2日しか滞在しなかったのでメインのブダ城には行けなかったけれど、ペスト地区の街並みはとにかく素晴らしい。私がこれまでに訪れたどの都市よりも感動した。建物のすべてがいちいち装飾されている。
私見ではミラノの方が発展して洗練されている印象を持っていたが、ブダペストのほうが公共交通も快適だし、ちょっとした買い物なんかもしやすかった。物価も比較的安め。
せっかく来たので名物のフォアグラを食べたい気分。でもこの週末は断食に近い感じで過ごすことにした。まあ、ビールは2本飲んだんだけど。
ハンガリーではユーロではなく自国通貨のフォリントが流通しているので、空港のATMで15,000フォリント(6千円程度)だけキャッシングしておいた。しかし決済はすべてキャッシュレスで済ませることができた。現金はまったく使わずじまい。
買い物と言えば、VISAやマスターカードは必須である。しかもタップ(コンタクトレス決済)が望ましい。逆に持っていないと苦労するだろう。
それとミラノでもブダペストでも、スマホのQRコードで公共交通を利用する。
ミラノならまだいいが、ブダペストは必須に等しい。
そもそもブダペストの地下鉄には券売機がないことがザラだ。QRコードのリーダーしかない駅もあった。
ミラノでもブダペストでも、それぞれの公共交通アプリと決済を紐づけることが必要になる。私はペイパルで決済した。
スーパーもセルフレジが普及していて便利である。レシートに記載されたQRコードを出口にあるリーダーに読み込ませれば出口が開くようになっている。これはデュッセルドルフ中央駅の店舗でもそうだった。
8日はブダペストハーフマラソンの当日だ。
安ホテルに荷物を預けて午前6時前にチェックアウトし、トラムでスタート会場へ向かう。私は前日に受付を済ませておいたが、当日受付している人も結構多い。これはありがたい。
出走は8時。ドナウの真珠をまずは北へ向って走り、対岸に渡って戻るコースになっている。
世界遺産になっている歴史地区は最初の数キロで終わり、あとは住宅地や公園を走る。
多くの都市マラソンでは、序盤と終盤にランドマークを通過する。しかし中盤は市民の生活域を走ることが多い。これを退屈と捉える向きもある一方で、観光ではなかなか行かない場所を走れるのも、都市型マラソンの魅力だと思う。
ブダペストからデュッセルドルフへ
8日の夜、ブダペストからデュッセルドルフへ飛んだ。ユーロウィングスは1時間近く遅延し、デュッセルドルフ到着は23時を過ぎていた。
デュッセルドルフ空港では中央駅行きのきっぷの買い方が分からず苦戦する。しかも中央駅へ行く列車がどれなのかもよく分からない。デュッセルドルフ中央駅はDüsseldorfer Hbfと記載されるからだ。Hbfって何だよ?って感じ。
結局中央駅至近のホテルに到着したのは、明けて9日の0時を過ぎていた。まあ良く遊んだ週末だった。
デュッセルドルフには9日、10日、11日と3日間滞在した。毎晩アルトビールも飲んだし、ドイツ料理も食べさせてもらった。ただ、ミラノやブダペストに比べれば刺激が少ない。そもそもこの街は旅の目的地とするような都市ではないのだろう。
天気も毎日小雨続きで気温も朝は10℃以下、日中でも20℃に満たない。行き交う人たちはダウンを着ているのに、私だけ半袖のワイシャツである。
いや、前日のブダペストも32℃あったし、ミラノも同じくらい暑かったのだ。
ブダペストから再びミラノへ
11日で現地の仕事は終了。
明けて12日からは休暇である。
朝4時20分にホテルをチェックアウトし、5時にはデュッセルドルフ空港に着いた。
6時45分発のユーロウィングスミラノ行きに乗る。
機材はなぜかエア・バルティックである。うーん?間違えることなんてあるか?LCCなのに別会社で運用されることなんてあるのか?なんて疑問に思っていたらミラノに着いてしまった。
ふぅ。
ミラノの空港でバスに乗ろうとしたら、予約がどうのこうのと言われてバス会社をたらい回しにされる。どうも混雑していたのでそうなっているようだ。だって、初日に乗った時はそんなことはなかったもん。
私と中華系、マレー系とみられる旅行者だけがそういう扱いを受けて、みんな途方に暮れていた。私はすぐにマルペンサエクスプレスに変更する。たった2ユーロ程度をケチっただけで1時間近いロスをしてしまった。
11時にミラノ中央駅に到着。預けていたキャリーケースを受け取り、登山スタイルに変身。再びキャリーケースを預け、スーパーで水と食料を購入、12時過ぎに地下鉄でバス停へ向かう。13時出発のクールマイユール行きに乗るためだ。この時点ではまだ時間に余裕があった。
ところが向かっている場所が、Googleマップに事前登録しておいたバス停ではなく、帰りにお土産を購入しようと思って登録していたEATALYであった。
途中で気付いて地下鉄を乗り換える。それでもこの時点ではまだ時間に余裕があった。
しかし乗り換えた地下鉄1号線には罠があった。
途中で二股に分岐するのである。台北にある中和新蘆線みたいなものだ。
運悪く、別な方向へ行く路線であった。2駅くらい進んだところで気付き「ああ、詰んだ」とがっかりする。しかし諦めるのはまだ早い。
最初の駅で下りて地上へ出て、流しのタクシーに飛び乗る。時刻は12時53分。距離は5kmある。
女性ドライバーはいい仕事をしてくれた。13時2分にバス停に到着。チップを含めて20ユーロを支払ってタクシーを下りる。
しかし、乗る予定だったバスが反対方向に出発していくのが見えた。ジ・エンドである。ツイてる私はそう長続きしないようである。
さて、どうしよう?ベンチに座って今後を検討する。
選択肢は4つだ。
- 17時出発のバスに乗る。現地到着は22時近くになり、それからキャンプ場まで6km歩いてテントを張るのは現実的ではない。では、クールマイユールで野宿する?現地の天気は雨模様だ。
- フランスのリヨンを経由するバスに乗る。これだと午前中には現地に着くようだ。ただ乗車時間が長いし、接続待ち時間も長い。運賃も1万円近い。
- 今日は諦めて、明日のバスに変更する。でもここの駅を出発する時間が早い。そもそもどこに泊まる?さすがにミラノのホテルの料金は高いし、野宿も現実的ではない。特にこの駅は治安が悪そうなニオイがプンプンする。
- 明日の早朝にマルペンサ空港出発のバスに乗ってトリノへ行き、トリノを正午に出発するバスに乗り換える。
結局、選択肢4を選ぶことにした。これだと今日はミラノ観光をして、夜はマルペンサ空港で野宿すればよい。
そう決めたのだから、もう気持ちを切り替えて観光することにした。そもそも当地の今日明日の天気はあまり良くない。山は天気が命である。最初に予備日を消化しただけの話だ。そう前向きに考えると、気持ちが楽になる。
この後はピザも食べたし、おいしいIPAも飲めた。懸念は当初5泊6日の行程を、4泊5日に変更したことである。全行程150kmを1日減らして踏破するということは、なかなか厳しくなるだろう。
その晩はマルペンサ空港の第2ターミナルで寝た。ベンチに座ったまま寒い夜を過ごした。
先週までの陽気とは真逆で、今週はミラノも気温が低い。ということは空港内ももちろん寒いのである。
マルペンサ空港は空港野宿に不向きである。
充電スペースはないし、ベンチで寝そべることもできない。
それでも寝るのであれば第1ターミナルのほうがまだマシである。スペースがたくさんあるからだ。
今回は第2ターミナルからFLIXバスに乗る予定だったので第2ターミナルで寝たが、このバスは第1ターミナルにも停車することをあとになって知った。
第2ターミナルは出発と到着で建屋が分れている。寝るなら出発のほうが良いと思う。でももし朝遅くまで過ごすのであれば、到着のほうが静かだ。
翌13日。9時半過ぎにトリノに到着、次のバスに乗るまでカフェで時間潰し。それでも時間を持て余して街をぶらぶらする。ミラノに比べて雑多でなく生活しやすそうな街だ。遠くに山々も見えていい雰囲気だ。
しかし相変わらず公衆トイレは有料である。
たまたま立ち寄ったトリノ中央駅では、ミラノ中央駅同様に1ユーロを取られた。
おしっこするだけで150円かかるなんて、どうかしていると思ってしまう。
最後はTMBのハイキングで過ごす5日間
さて、13日の14時にクールマイユールに到着した。当初の計画より約20時間遅れである。2日に日本を出発してからすでに11日目である。それでも事態は進んでいるから良しとしよう。
現地ではTOR(トルデジアン)が開催中であった。UTMBと並んで有名な大会である。
計画より1日遅れているので、できるだけ駒を進めておきたいところ。
でも、これから峠越えをしてスイス入りするのは、あまり現実的ではない。クールマイユールから少し歩いた先のキャンプ場へ行くことにした。
翌14日。
当地の朝は遅い。日の出は午前7時である。
それでも5時半に起きて出発準備をする。寒い夜であった。
モンベルの#2のダウンシュラフでも寒かった。
まだ星が見えている中でテントを撤収する。夜露で濡れたフライシートがバリバリに凍結している。仕方ないが凍結したままザックに放り込む。
私はザックの中にテントを入れる際、重量があるので上に積むようにしている。つまり寝袋とマットが底側になる。
ところがこれが命取りであった。
テント泊2日目以降、シュラフとカバーを逆に使う羽目になる。
つまり、濡れたダウンシュラフの中にシュラフカバーを入れ、その中で凍えながら毎晩過ごすことになる。
さて峠越え。峠は一面銀世界であった。前日も雪が舞っていたので予想はしていたものの、路面は凍結気味で危なっかしい。
それでもスイスに入って高度を下げていくと、まだまだ夏山終盤の雰囲気が広がっていた。
この日もほとんど曇り空が続いて日差しがない。Tシャツから雨具まで全部で6枚重ねで着こんでいたが、それでも寒かった。
その点、牛たちはのんきなものだ。
脂肪が多いと暖かいのだろうか?こっちはTMBで2kgも痩せてしまったというのに。
TMBのコースをザックリ4分割して、事前に毎日の目的地は決めていた。
しかし出発が1日遅れたので、これを大きく変更する必要がある。
4泊5日と言えども、初日と最終日はせいぜい5時間しか行動できない。そうなると、終日行動できる日は今日、明日、あさっての3日のみである。
UTMBのトップ選手たちは20時間を切るタイムで走破するようだが、制限時間は46時間30分だ。それをテント泊装備を担いだ私みたいなハイカーが50時間程度で踏破しようとしているのである。
なかなか厳しい。
フリーの街で食材の買い物したのがお昼頃、次の目的地はシャンペックス湖だ。ここを通過してさらにシャモニーまで行きたいと考えていたが、私の頭の中には高低差に関する情報がまったくインプットされていなかった。
フリーからは可能な限りトレイルを外れ、車道歩きをするようにした。そのほうが距離を稼げるからだ。下り基調だったので順調に進んだ。時おり路線バスが走っていくのを見かけたが、乗ろうとは思わなかった。トレイルを外れたり、ショートカットしたりしてでも、自分の足で踏破したかったのだ。
17時、シャンペックス湖に到着した。シャモニーまではまだまだ遠い。
スーパーで食料とビール2本を買いこみ、今晩は近くのキャンプ場で休むことにした。
開き直って、計画を修正しようと考えた。やはり無理があったのだ。
明日15日にシャモニーまで到達したら、そこで2泊。ビールでも飲みながらゆっくりとモンブランを眺め、最終日の17日にバスでクールマイユールへ戻ればいいじゃないか。
そもそも自分は楽しむためにTMBを歩いているのだからと。
翌15日は日曜日。
天気予報の通り、この日はよく晴れた。
しかもTMBのハイライト、その一部分を歩くのである。景色はすこぶる良い。午後になると、やっとモンブランを眺めることもできた。
ただ、アップダウンが大きい。この調子だとシャモニーにすら到達できなさそうだ。
ここからがTMBの核心部とも言える、ラックブランなどを含む一帯を歩くのは、明日にしようと考えた。食料調達が必要で、一度下界に下りる必要があった。
アルジャンティエールの街に下り、車道歩きを再開する。それでもシャモニーに着いたのは19時を過ぎていた。
買い物を済ませ、キャンプ場へ向かう。これでこの旅を終えられると思うと、気が楽になった。
でもキャンプ場へ行く前に、バスの情報だけ調べておこうと思い、バスターミナルへ寄ってみた。
バスターミナルでバスの時間を調べてみると、イタリア方面へ行くバスの時刻表が削除されている。
いやな予感がした。
実は事前に調べておいたが、どうもバスの予約ができない気配だったのだ。
そこでPerplexityで調べてみると、バスは運航しているという。だから油断していたのだ。
でも相手はAIである。
そこでChatGPTでも調べてみた。
すると、2024年9月2日から12月16日までモンブラントンネルが完全閉鎖されているらしい。詰んだか。
とりあえずキャンプ場へ行く。
キャンプ場は混雑していた。しかも受付時間がすでに終了していた。朝は8時まで誰も来ないらしい。
とりあえず端っこにテントを設営し、中でビールを飲みながら作戦を考える。導き出した選択肢は2つ。
- バスでフランスのリヨンを経由し、ミラノに戻る。
- バスでジュネーブへ行って、電車を使ってミラノに戻る。
- このまま頑張って踏破する。
この段階で、ケーブルカーを使ってクールマイユールに戻るという選択肢はなかった。
選んだのは3である。頑張って歩こうと。
翌16日は3時45分に目が覚めた。連日4時間程度しか眠れていない。それでもなぜか朝になると元気になるものだ。5時前には行動開始する。
結局、キャンプ場へはお金を払わずに使わせてもらった。心苦しいが、支払う相手がいないのだから仕方ない。
暗い中、レズーシュまで車道を歩く。ここはTMBの起点となる場所だ。
フランスは車道脇に街灯が付いていて、歩道も整備されているのでヘッドライトなしでも安心して歩くことができた。これがイタリアではまず無理だろう。
問題はこの後に起きた。
ここからトレイルを歩き、次の街レ・コンタミンヌへと向かう。
しかし今日は何としてでもエリザベッタ小屋付近まで駒を進めたい。そうしないと明日ミラノへ帰れないのだ。明日はミラノのホテルを予約しているし、あさってはミラノを早朝に出発するフライトで帰国する。
遊びに来ているはずなのに、なぜか頑張らなければならなかった。
遠回りになるが、確実に駒を進めるためにアドリブで計画外の車道歩きをすることにした。トレイルを歩いた場合、コースタイムは5時間40分なのである。
スマホの地図を見ながら最短ルートを歩いていると、大きな車道に出た。
歩道が付いているが、車道がしっかり整備され、交通量も多い。
トンネルに入っても歩道は付いている。順調に進む。
すると後ろから思い切りクラクションを鳴らされ、中型のトラックが止まって大きな声で「ウェイ!」と叫ばれた。しかも早く乗れと手で合図するじゃないか。
ドライバーは蛍光のベストを着ているし、車両も警察とかそれ系の公共のものであることはすぐに分かった。
助手席でザックを抱えたまま座り、車を走らせながらドライバーとやり取りする。相手はフランス語、私は片言の英語。
お互い、シャモニーとかクールマイユールとかのワードと身振り手振りで何とか意思疎通をする。
- ごめんなさい、ここは自動車専用道路でしたか?
- 君はシャモニーへ行くのかい?
- いや、クールマイユールへ行きたいんですよ。シャモニーからクールマイユールへは今通行できないんですよね?だからトレイルを歩いてそっちへ行くんですよ。
彼は理解してくれたようだったが、どうもトレイルとトレインを間違って認識していたらしい。
車が着いたのは、Le Fayetという駅だった。それでも約13kmをワープできたことになる。
人相は悪いが、最後はとても笑顔で見送ってくれた。
しかもなぜかイタリア語で「チャオ!」であった。
レ・コンタミンヌまではずっと登り基調で2時間以上車道を歩いた。
ずっと曇り空で寒かったが、着くころには青空が広がってきて、今日もハイキング日和である。
スーパーで食材を調達する。チョコレート3枚、サンドイッチ、カマンベールチーズ200gで9ユーロもしなかった。
レジのおばちゃんは人柄が良さそうであった。
ボンジュール、メルシー。相手が言うには全く問題ない。
でも私が言うとどうだろう?自分を客観視する。51歳の日本人のオッサンが、何が「メルシー♡」だとツッコミたくなる。
さて、この後がこの旅の核心部である。
クールマイユールまではほとんどトレイルが続き、標高も高い。
そして何としても2つの峠を越え、フランスからイタリアに入らないとならない。
おおよそのコースタイムは13時間25分。夜通しでも歩き続ける覚悟である。
ただ救いとなったのは、この日も天気が良くてしかも風が無かったことだ。
それに何と言っても見晴らしが良い。
シャモニー側の山岳風景は確かに派手で素晴らしいが、個人的にはこちら側のほうが地味で好きだ。分かりやすく表現すると、北海道の表大雪が好きか、東大雪が好きか、そんな感じだろうか。
いや、余計分かりずらいか。
TMBの正規ルートはRefuge de la Croix du Bonhommeからレシャピュー(Les Chapieux)まで一気に下って遠回りをするルートだが、ショートカットしたかったので、Col des Fours側を抜けるルートを選択した。
ここには予想通り、それなりの雪があった。
それでもトレースが多く付いており、道迷いの心配は無い。
こんな私でも北海道では雪山にも登る。トレースを外れて新雪の上を下って行ったほうが楽なことくらい分かる。ここを駆け抜ける。
しかし、トレースが間違っていた。
雪が無くなる頃には道も見えなくなっていた。
辺りを見渡しても道は見えない。
遠くの山腹にトレイルが2本並行に走っているが、そっちはあまりにも遠い。
GPSで現在地を確認する。
すると小さな沢地形を1つ行き過ぎていたようだった。
下りきった場所にAlpage La Ville des Glaciersという農場があり、ここから少し道路を登ったあたりにRefuge des Mottetsがある。
この時点で19時近く、ハイカーたちも適当な場所にテントを張って休む準備をしつつある。
でも私はここからさらにセイニュ峠を越え、イタリアへ行かないとならない。
辺りはだんだんと暗くなる。
セイニュ峠はなだらかな丘のような地形だった。
起伏があるのかどうかも分からないような坂を延々と登る。表大雪の小泉岳のようだ。
問題はガスがかかって視界が5mほどしかないことだ。
人が歩くトレイルだけなら問題ないが、この辺りはMTBも走るし、牛も歩く。至るところが道なのだ。
GPSでセイニュ峠の山頂付近へ着いたことが分った。
ここでトレイルが全く分からなくなる。
こっちだと確信して進むと、GPSは進行方向と真逆を向いている。危ない危ない。
もはや足元を見ずに、GPSだけを見ながら歩き続け、下って行くとガスが晴れてようやく周囲を認識できるようになった。
ここからは下り基調でトレイルも整備されて歩きやすい。
エリザベッタ小屋の派手な照明と、月明かりに照らされる背後の山々の眺めがすばらしい。
22時過ぎ、エリザベッタ小屋から1~2km進んだ辺りでビバーグすることにした。
未だ標高は1,800mを超えていたが、今日も寒さに凍えながら休むことにしよう。今晩でやっとこの旅を終えられる。
翌17日。
この5日間で最も寒い夜だった。
寝る前に板チョコを1枚食べてみたが、カラダは温まらなかった。
昨日雪の中を歩いて濡れたこともあり、もはや異臭の塊となった靴下と靴を履く。帰りのバスに涼しい顔をして乗るために、新しい靴下1足とサンダルだけは汚染させたくなかったのだ。
意を決して出発。
少し歩くとトレイルとの分岐点があり、トレイルを歩いてもクールマイユールまで3時間50分とある。13時出発のバスまでまだ7時間もある。このままトレイルを歩こう。
いくら連日寒くてほとんど汗をかかないとはいえ、11日の夜にシャワーを浴びて以来だから、さすがに自分でも変な臭いがするようになってきた。
そこで登りの途中でカラダがほてってきたタイミングで、沢でタオルを濡らし、全身を拭きっこ拭きっこすることにした。
陸上自衛隊の幹部候補生学校では、毎朝、点呼のときに乾布摩擦をしたものだが、思わずそのときのことを思い出してしまった。20年も前の話だ。
すっきりして先を急ぐ。
ちょうど11時頃にクールマイユールに到着した。
バス出発の2時間前というタイミングである。
達成感もさることながら、やっと日本に帰ることができるという喜びも大きい。
あれだけ海外へ行きたがっていたのに、行けば帰りたくなる、いつもそうなのだ。日本ではあまり刺激を受けないが、暮らすには日本が一番いい。
帰国して次の旅へ向けて
バスでミラノへ戻り、5日前に寄ったピザ屋でマルゲリータを2ピース食べてからミラノ中央駅に戻る。ホテルに預けていたキャリーケースを受け取り、駅の中にあるMercato Centrale MilanoでIPAを1杯飲む。
駅の売店で職場へのお土産を買ってから、空港近くのホテルへ移動。
テント泊で山を歩くといつも思うが、熱いシャワーを浴びれること、ベッドで眠れること、ホットコーヒーを飲めること、こんな些細なことが本当にありがたい。
帰国後にすぐに片付けができるように、登山用具をばらして洗濯物とそれ以外、お土産、その他に分類し、キャリーケースをまとめる。
翌18日。
ホテルを6時10分にチェックアウトし、電車で1駅のマルペンサ空港へ。
ミラノ中央駅からマルペンサ空港までだと、途中下車するチケットを購入した方が安くなるから不思議なものである。イタリア人はこういう感覚なのかもしれない。確かクアラルンプールもそうだったよね。
空港ラウンジでクロワッサンとオレンジジュースの朝食を食べ、お土産を追加購入してフランクフルトへ向かう。
フランクフルト空港では乗り継ぎに約3時間以上あるので、ここでもラウンジでランチ。ただ、第1ターミナルのエアサイドにはプライオリティパスを利用できるラウンジがないらしく、わざわざシャトルバスとトレインに乗って第2ターミナルへ。移動だけでも往復1時間くらいかかるから要注意だ。
今回の旅では、ミラノで2回、フランクフルトで1回、デュッセルドルフで1回、ブダペストで1回、合計5回プライオリティパスでラウンジを使わせてもらった。さすがに同じ空港でラウンジホッピングこそしないが、こうやって多用する人間がいるから、クレカ付帯のプライオリティパスに制限を設けるのだろう。
フランクフルトではお土産をさらに購入する。これだけ遊ばせてもらったが、出張なので移動と勤務日は僅かではあるが日当が支給される。これを少しでも同じ部署のメンバーに還元したい。人に何かをあげるとき、常識外の物量を渡すと相手の期待を圧倒的に上回る。できるのであればそうしよう、と思うのが私だ。
フランクフルトからは中央アジア、中国上空を飛んで12時間の空の旅。ルフトハンザの14時台発のフライトで羽田に着いたのが9時半頃。これだけ寝不足で疲労していても、機内ではほとんど眠れなかった。
羽田空港ではさらにお土産を買い増し。全部同じ部署のメンバーに渡す。
そこから正午の新千歳行きの国内線に乗り継いで、自宅に着いたのは15時過ぎだった。
そして、なぜか翌日は朝5時45分から勤務の連絡を受け、時差ぼけで不眠症のまま今に至るのであった。
今週末は山仲間と北日高に行く約束だったので、ミラノからレンタカーの手配もしていたのだけど、帰国すると雨予報だったのでキャンセルして1週間順延することにした。なのでこのブログを書いたり、動画編集を進めたりしながら、早めに旅の整理をしてしまおうと思う。
来週は6連勤で毎朝5時から勤務、週末は北日高、10月は走り込んだり紅葉の山へ出かけたりして、10月後半は台北で開催される長栄航空マラソン参加と南湖大山と武陵四秀のハイキング、ベトナムハノイマラソン参加へと続きます。
動画を公開したらまたお知らせします。
TMBのヤマレコはこちらです。