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ソロ登山。「10年の壁」の先に何があるか考える

20代の頃に登山を始め、30代は仕事が忙しく一時中断、40代になってから再開した私。再開時期から約10年が経ち現在52歳。ここ3年くらいはマンネリ化や飽きが生じ、気力や体力の低下が加わってそれが加速しているように思う。

 

しかしこれは登山だけではなく、同時期に始めた海外旅行と海外マラソンへの参加、このブログ、現在の勤め先での仕事にも同じ傾向が見られる。これを私は一括りに「10年の壁」と呼ぶことにした。

 

今回のブログでは、マンネリ化と飽きをテーマに考えてみたいと思う。

 

果たして本当に山登りに飽きてしまったのだろうか?

登山を始めて実力と自信が付き始めた頃は、いろんな山に登りたくて仕方がなかった。

 

特に日本百名山のような厳選されたテーマは道しるべになるし、自分の現在地と奇跡がとても分かりやすい。

 

私はまだそれらを達成していないが、それに近いボリュームはすでに消化したと思う。そして、自分のやっていることにいったい何の意味があるのだろう?と活動の意義を見出せなくなってきた。これが今回のテーマのマンネリと飽きだ。

 

私の世代は人口のボリュームが厚いから、同じような壁に直面している人は意外と多いと思われる。

 

私はこれに気付いてから、活動の幅を増やしたり、掘り下げたりすることを試みた。

 

例えば積雪期の登山を増やすとか、海外の山にも登るとか、あるいは未経験者の富士山登頂をするサポートをするとかである。

 

このブログやYouTube、SNSなどを通じて記録を残していくことも、登山に付随する活動として続けてきた。

 

反対に昨シーズンは、冬期間の登山を完全にやめてみた。登山との距離をおくという試みである。

 

AIとの対話で打開策を探る

もしかして完全に飽きてしまったのだろうか?と思い、別の趣味を見つけよう、いや、もう少し仕事に力を入れようなどと考えてみた。

 

ところが冒頭に触れたように、海外旅行の趣味や、仕事に関しても同じタイミングでマンネリと飽きが生じつつあることに気付いた。さらに人生を振り返ってみると、私はほぼ10年サイクルで転職を繰り返しており、結婚生活が破局を迎えたのも11年だと気付いた。このブログも約10年書いている。

 

これは何か関連性があるのではないかと気付き、AIとの対話を通じて、マンネリ感と飽きをテーマにいくつかの助言を貰うことが出来た。

 

今回のブログでは、登山をテーマにしたAIとの対話について紹介してみたい。

 

同じような境遇にある方がいれば参考になるかもしれないし、またあなた自身もAIとの対話を通じて新しいフェーズへ進むかもしれない。

 

Q:マンネリ打破にはどうしたらいいか?

以下、AIの回答。ほぼそのまま引用する。

 

すでに幅も深さも多角的に探求されているからこそ、次のステップには「関係性」や「創造性」といった新たな軸が鍵になるかもしれません。

 

趣味の「第3の段階」:体験から貢献、そして創造へ

 

登山のその先へ:「自然と人をつなぐ」

 

■ガイド+ストーリーテラーとしての役割

単なる道案内ではなく、山の文化や地理、歴史、地形の成り立ちなどを物語ることで、参加者の体験に深みが増します。例えば、「この山の岩肌はなぜこうなっているか」「この登山道は昔は何に使われていたか」など。

 

■山と地域を結ぶ企画を構築

登山者と地元の人をつなぐ。例えば、登山後に農家や民宿とコラボして郷土料理体験、地域の暮らしを学ぶサイド企画など。

 

■身体感覚の探求

登山×瞑想、登山×俳句やスケッチなど、心身の感受性を拡張する活動を加えることで、同じ山でも毎回違う体験に。

 

 『飽き』を客観視する:新しい問いを立て直す

 

■私はなぜこの体験に惹かれていたのか?」

 

■「何が変わってしまったのか?」

 

■「変わらなかった部分はどこか?」

 

こうした問いに丁寧に向き合うことで、「今後の形」は自然と浮かび上がってくることがあります。

 

すでに始めている『他者を導く』というアプローチは、まさに趣味の深化の先にあるステージ。そこからさらに、『自分の体験を構造化する・企画する・継承する』というフェーズに入ると、また違うやりがいや感覚に出会えるかもしれません。

 

Q.テクノロジーの進化と目的達成の容易さによる弊害を感じる

以下、私の問いを原文で引用。

 

この10年の間にテクノロジーが進化したことで、より詳細でたくさんの情報を手軽に入手できるようになり、入念に計画しなくても、手軽に目的を達成できるようになりました。

 

登山では、情報が少ない中で未知の領域に踏み入れる冒険的な要素に面白みや深みがあったと思いますが、現代はそこが薄っぺらくなってきたように感じています。

 

海外旅行も現地に到着してからあなたのようなAIに最適な行動を提案してもらい、アレンジなしでも即興の旅ができるようになりました。かと言ってテクノロジーと距離を置くのは違うような気もします。

 

以下、AIによる回答。

 

この感覚は現代における探究者の核心を突いていますね。テクノロジーによって「達成」は容易になった一方で、「発見」や「驚き」の総量は減少したように感じられる。それは決して気のせいではなく、情報過多社会において本質的な問いだと思います。

 

■「便利さ」の中で見失われがちな価値とは?

 

『計画なき冒険の消失』

 

情報を事前に入手できることで、リスクが減った分試行錯誤も減り、探索の手触りが薄れる。

 

『ルート最適化の罠』

 

AIやアプリが効率性を追求することで、風景や偶然を味方につける旅の余白が狭くなる。

 

『“体験”より“成果”の重視』

 

頂上に着いた、目的地に行ったという達成感は得られるが、その過程の記憶が薄くなりがち。

 

■かといってテクノロジーを否定する必要はない理由

 

あなたが「ソロより複数でいるほうがストレスを感じる」と言っていたように、テクノロジーは“距離感の工夫”を可能にするツールでもあります。

 

■ 発信・記録・企画・調査など、内向型にとってはテクノロジーによって開かれた新たな創造のフィールドがある。

 

■ただの情報ではなく、「自分の知識を構造化する道具」として使えば、単なる最適化ではなく“新しい意味づけ”を生み出せます。

 

ここからの方向性:テクノロジー×偶然性×思想的探究

 

たとえば…

 

「逆最適化」アプローチ

 

■ あえて“情報が少ない場所”を選ぶ

 

■ 現地でしか分からないことをテーマにする(例:水の入手方法、方言、地元の伝説など)

 

■AIや地図ではなく“人の声”に従って移動するプランニング実験

 

「記録」を“表現”に進化させる

 

■ 登山ログや旅行記を単なる記録ではなく、「体験の揺らぎ」や「思考の軌跡」として表現。薄れていく驚きや、予定通りに進む違和感すらも詩や物語にできる。

 

■たとえば、「SNS Mapなし登山記」「即興旅で感じた“無計画の不安と自由”」というテーマで発信してみるのも面白いかもしれません。

 

 現代の旅の問いは、“どこへ行くか”ではなく、“どのように感じるか”へシフトしている

 

情報がある今だからこそ、「どう受け取るか」「何をあえて知らないまま進むか」「どのように意味を再構築するか」が醍醐味になる時代です。

 

あなたの感受性と知性なら、テクノロジーと距離を置くのではなく、“視点を変えて使う”という可能性が大いにあります。この先の旅や山の探究を、“哲学的な実験”として捉えると、まったく新しい世界が立ち上がってくる気がします。

 

Q:内向型人間にとってのソロ登山の限界

以下、私の問い。

 

私の趣味である「ソロ登山」「海外マラソン」は1人で完結できることなので、内向型の性格と親和性が高かったのだと振り返ります。一方で自分でも薄々気付いていることとして、人との関わりがマンネリ打破へのポイントなのだと思います。ただ、リアルな人間関係は正直な気持ちとしてストレスになることがあるのも事実です。楽しいはずの趣味にストレスを抱えたくありません。そこでかねてからブログを書いたり、動画を公開したり、SNSで発信するような取り組みも続け、緩く繋がる活動を続けています。しかしこういう活動を掛け算してもマンネリ感はなかなか払拭できません。内向型な性格の私に残されている選択肢はやはり深掘りすることでしょうか?

 

これに対するAIの回答。

 

■「深掘り」の再定義:知の旅としての趣味へ

 

これまで既に「量」と「広がり」を徹底的に実践されてきました。さらに、人との関わりも“アテンド”や“発信”という距離感を工夫しながら挑戦されていますよね。そのうえで感じるマンネリは、“表現”の奥にある“問い”や“思想”に向かうフェーズかもしれません。

 

■ 知的探究としての登山・旅

 

「山に登る理由」の哲学的探求

 

たとえば「なぜ人は高いところを目指すのか」「山は社会的階層や信仰とどう関係してきたのか」など、登山を通じて人間性を掘り下げる問いに向かってみる。

 

自然との関係性を再構築する

 

内向型だからこそ、“自然との対話”に長けています。単なる挑戦や達成から、山との対話、環境と人との循環へ思考をシフトすることで、マンネリは哲学になるかもしれません。

 

テーマ型発信への移行

「初心者ガイド」から「登山を通じて見える地域社会」や「山で感じる無常と存在」など、思想をベースにした発信スタイルへ。好奇心と知性を掛け合わせた内容は、静かに共鳴する層が必ずいます。

 

■内向型の強みを生かすアプローチ

 

 “発信”から“編集”へ

 

他者の登山体験をまとめる、旅の思想をキュレーションする、など“自分が発信する”ではなく“他者の世界を編み直す”ことで無理なく社会と関われます。

 

 対人でなく“対関心”でつながる活動

 

オンラインサロンやテーマ別の知的コミュニティで、あくまで共通の関心を中心に集まる関係性は、内向型には負荷が少なく、新しい刺激源になります。

 

創作と物語性の導入

 

空想旅行記、登山をめぐる短編小説、登山者の心理を描くドキュメンタリー風エッセイなど、趣味の「体験」を「物語」に再構築していくと、内なる宇宙にアクセスできます。

 

■ “深掘り”は孤独の延長ではなく、世界と繋がる別の回路

 

「一人でできる」という性質は、決して孤立ではなく、“質の違うつながり”のための準備だったのかもしれません。あなたのように、感性と構造思考が両方ある方は、「深める」ことでむしろ“広がる”んです。

 

おわりに

今回はマンネリ打破の手法について考えてみたが、一方でマンネリ感を感じることができるのは、その時々を一生懸命に取り組み、コツコツ積み重ねてきた証だと自賛することもできる。

 

そう考えると、次のステップに進まなければ満足感は得られないと思うので、もう少しAIからヒントを得ながら、自分にとってこれだと思える最適解を見つけたいと思う。

 

大雪山

私の最適解はきっとソロ登山を続けるなかで見つかりそうだ。問題はその内容にあり、今まで注目していなかった「何か」を追求することなのだと思う。その何かはまだ分からない。場所や季節、行程なのかもしれないし、スピリチュアルなものかもしれない。