先月登った1967峰に続いて、今月はピパイロ岳へ登ってきた。
これから長めのブログを書くので、時間がない方はヤマレコでご覧ください。
動画も公開しています。
どちらの山も北海道百名山ではあるが、その存在を知っている人は少数派だと思う。今や、よほどの岳人か、地元の人でなければ行かないのかもしれない。
登山人口は増えているように感じるものの、わざわざテント泊装備を背負って何日も歩いたり、長距離の運転×深夜早朝から終日登山をしたりするスタイルは、時間効率が悪いように思う。遊びなんだからそんなことを考えちゃダメ、というのが私の持論だけど、現役世代はみんなたいてい忙しい。心にも余裕が少ないし、そもそも何のために生きてるのかを見失い、余暇を重視していないようにも思う。
ちょっと気分転換に楽しめれば良い、そんなライトユーザーも多いだろう。だとすれば日高山脈を歩くことはニーズの真逆をいくだろう。
ピパイロ岳はもともと登山口から遠かった。それに往復14kmの林道歩きが加わった。今回は深夜2時から日帰りで登ってみた。ヤマレコ繋がりのminaさんにコラボを打診して実現した。その記録を残しておこう。
トムラウシ林道は車両通行止め
以前、伏美岳登山口まで通じるトムラウシ林道は車両で通行できた。
直近では2015年6月に通行している。どうやらこの付近も2016年夏の台風によって被災してしまったらしい。
詳しくは、北海道森林管理局のウェブサイト内にある、平成28年度以降の台風等の影響で通行を規制している林道の項を参照。
どこまで車両が通行できるかについて、5万分の1の地図にプロットされてPDFで確認することができる。
林道歩きが片道7.4kmというのは、なかなか微妙な距離である。平地のアスファルト路面で空身であれば、1時間5km程度のウォーキングも可能だ。
しかし不整地でアップダウンがあり、さらに被災しているので、渡渉箇所だってある。
深夜に歩くと道を見失ったり、道から足を踏み外したりするリスクもある。往復4~5時間程度の歩行をみておきたい。
トムラウシ林道入口ゲートは閉ざされていて、駐車場はない。ほぼ車両は通らないと考えてもいいだろう。それでも道路脇に縦列駐車するなどして、最低限の通行スペースは確保しておきたい。
幸いなことに、ここへ来るまでの区間で未舗装箇所はない。
芽室の市街地、国道38号線からだとおよそ27km、道東道の芽室ICからでも33kmなので、1時間程度で来ることができる。
札幌市内から高速道路で来た場合、登山口まで3時間30分みておけば大丈夫だろう。
日帰り登山のために、札幌市内を21時20分に出発
9月29日、例年であれば秋深まってかなり冷え込むものの、2024年の今年はまだまだ暖かく秋の入口の雰囲気だ。
ピパイロ岳を日帰りするため、早朝1時に芽室公園の駐車場で待ち合わせ。
前日の28日土曜日は17時に退勤。帰宅後はシャワーを浴びて17時40分には寝た。
眠りに落ちた18時30分頃に会社から着信があり、仕事の話になる。結果、ほぼ徹夜で出発することになった。
札幌南ICから高速道路に乗ると遠回りになるので、夕張ICから高速に乗ろうと考えた。移動時間はあまり変わらない。
順調すぎて待ち合わせ時間より1時間早く着くとみて、占冠ICまで下道で移動した。
待ち合わせ場所の芽室公園には0時40分頃到着。
約束の時間の1時になってもコンタクトできない。本来なら焦るところだろう。でもイタリア出張帰りの私である。時間感覚は日本のそれとはかなりかけ離れている。そう、完全にアバウトなのである。
しかし相手を不安にさせては気の毒だ。
そこでヤマレコのDMからメッセージを送ろうとしたら車が到着。
やはり私のイメージしていた待ち合わせ場所と認識が違っていたらしい。 私の伝え方が曖昧だったと反省。
その後2台が連なって登山口のゲートまで移動。ゲートまでは舗装路なので、レンタカーでも安心である。
日曜なのにゲートには車がない。前日からテント泊装備で入っている人がいないということ。先行者がいないのでやや不安になるけれど、やはりふたりだと心強い。午前2時頃出発。これから7km強の林道歩きが始まる。
この林道、以前は車で通れたけれど、2016年夏の台風で被災してしまったらしい。事前情報を得ていなかったので、具体的にどの程度被災しているのか未知数だ。
実際のところ、想像以上に荒廃していた。これは2時間以上かかるかもしれない、と頭の中で時間計画を修正しながら歩いていたら、午前4時前には伏美岳の登山口に到着できた。
こちらは2015年当時のようす。こうやってパッソでも伏美小屋まで来ることができたが、今では完全に無理である。
大雲海にご来光、そして北日高の大展望へ
伏美岳の登山道は前半が急登で、中盤から少し楽になる。斜度が緩んだ5合目を過ぎた辺りで夜明けを迎える。
ずいぶんと朝露で全身が濡れると思ったら、登り始めから雲の中だったようだ。それを抜けた頃に空が少しずつ明るくなって、眼下には大雲海が広がっている。本当にドラマチックだ。
吐く息は少々白いが、行動している分にはちょうど良い気温。
北側に広がる雲海にもいくつかの峰々が浮かんでいる。
最も手前はトムラウシ山(△1476.4)の尾根、奥は芽室岳の稜線だと思われる。
だとすれば、浮かんでいるのは剣山で尾根の末端は久山岳だろう。
登山口から2時間19分で伏美岳の山頂。ここまでの登山道は笹に覆われることなく、藪漕ぎは全くなかった。歩きやすい。
快晴無風、これから登るピパイロ岳、奥には北戸蔦別岳、幌尻岳もクッキリと見える。
南はエサオマントツタベツ岳のカール、カムイエクウチカウシ山まで見通せるじゃないか。
すでに大雲海とご来光も拝めたし、一面の木々も紅葉真っ盛りである。もはやこれ以上何も望むものはない。もし一人で来ていたら、満足してここで帰ったと思う。うん、100%間違いない。
何度登っても、ここ伏美岳と十勝幌尻岳からの展望は本当に素晴らしいと思う。朝陽を浴びた幌尻岳と戸蔦別岳がクッキリと見えている。季節を変えてまた来たい。
そうそう、冒頭に書いた通り、今や札幌から3時間半もあれば登山開始地点へ来られるのだ。富良野岳を登りに十勝岳温泉へ行くのと何ら変わらない。違うのは高速料金が上乗せされることだけだ。そう考えると、十勝平野がグッと近く感じられるようになった。
今まで私の中にあった「道東は日勝峠を越えるので遠い」という古い概念が今回を機にアップデートされることになった。そのきっかけは人との繋がりによるものだ。
思い起こせば、今年は長い間足が遠のいていた北日高に三度訪れた。最初は職場繋がりの方からお誘いを受けて登った幌尻岳。その次はそのレコにコメントを頂いたminaさんと登った1967峰。そう、こうしてすべてが繋がっているのだ。やはり人と交わって自分が成長するのである。
そのminaさんがやや遅れて到着。深夜から登ったご褒美に満足そうである。
少し休んで今日の目的地、ピパイロ岳を目指す。
約10年前の6月に訪れた際、同じ場所から撮影した幌尻岳と戸蔦別岳。季節が変われば見せる表情も変わる。いつか真っ白な姿の北日高を見てみたいものだ。
伏美岳からはエサオマントツタベツ岳のJPの奥に、カムイエクウチカウシ山(右)、その左にピラミッド峰、さらに左には1839峰。そしてすぐ左には1823峰(中央)がカッコよく見えている。その左はヤオロマップだ。
上の画像から外れるが、カムエクの右にはなだらかな山容のナメワッカ岳も見える。一般の登山者にとっては、ある意味で最難関の山の一つだ。
そして手前左の札内岳がとっても美しくて惚れ惚れする。その左奥はペテガリ岳の東尾根なのだそうだ。
いくら日高山脈が国立公園に昇格し、ゴールデンカムイによってアイヌ文化が脚光を浴びたとはいえ、標高とアイヌ語の山名ばかりである。これらの山々が世間一般に認知されるとは到底思えない。でもそれでいいのだ。それこそが秘境というものだ。
どうせマニアックな話だし、読まれている方も同じ人種かと思われるので、しつこく書いていこう。
北側は雲海が広がっていて、見えているのは日高山脈の主稜線。こちら側は十勝支庁、稜線の奥は日高支庁である。
こんなにたくさんの山々が連なっているのに、山名があるのは芽室岳とルベシベ山、ペンケヌーシ岳くらいだろうか。これがピパイロの肩(・1911)へと続く。
芽室岳のはるか彼方に見えているのは十勝連峰。美瑛岳までの直線距離は75kmあるらしい。つまり今日はよく晴れているのだ。
遥か彼方、雲海に浮かぶ雌阿寒岳と阿寒富士が見える。
直線距離は122kmとのこと。札幌から旭川が見える、そんな感じだろうか。
地理院地図で直線を引くと、手前に浮かんでいるのはやはり剣山であった。この瞬間に剣山山頂にいたら、いったいどんな景色が見えるのだろうか?雲の中に自分の足元だけが浮かんでいることになる。
伏美岳からピパイロ岳へ
伏美岳から一度標高を下げ、ピパイロ岳を目指す。いったん、・1546まで250mほど下り、小さなアップダウンを繰り返して最低コルの・1542(概ねこの付近が水場コル)へ至る。
秋らしく彩られた木々の向こうには、盟主幌尻岳がどっしりと鎮座しているのが見える。
伏美岳からピパイロ岳へは直線距離では3.1kmしかないのに、片道3時間くらいかかるのがもどかしい。これでも日高山脈の稜線の中では1級国道なんて言われているんだっけ。
水場コルは雑草が生い茂っていて、最近野営した痕跡は見られなかった。
そもそも登山口の入山名簿にも、この2週間人が入った記録はなかった。
私自身の記録を遡ると、2011年9月23日にここで野営し、翌日1967峰に登ったとある。その時期は転職前に1カ月間のブランクがあり、あちこち山へ出かけていた時期だ。数枚の写真が残っているが、どれも醜い自撮りばかりなので永久にお蔵入りである。
核心部はここだろうか。・1732への登り返しだ。標高差はたかだか200mなのに、甘く見てはいけない。
足元の道はハッキリ見えているけれど、背丈を越える笹が覆いかぶさってくる。両手でかき分けながら登って行く。全身を使う。
いらいらして火炎放射器で焼き払いたくなるくらいだ。
笹ジャングルを抜けると、稜線の北側の開豁地に出る。
振り返ると、伏美岳と折敷岳がなかなかいい感じである。
いかにも熊が現れそうな場所だけど、人間にとっても心地が良い場所。ここでminaさんを待つことにしよう。
まずは靴を脱いで靴と靴下を天日干しする。乾燥、むしろ消毒である。
靴の中は木っ端だらけであった。そして辺りに高濃度の異臭を放つ。あまりにも臭すぎて子供が泣きだすレベルだ。
そして一人で早弁。昨日買ったアップルパイ。
そうこうしているうちにminaさんの鈴の音が聞こえてきたので、出発することに。
いよいよ山頂が見えてくる。
ピパイロ岳登頂4回目にして最も好条件。おのずと笑顔になるし、テンションも上がる。
仕事のことなんか微塵も考えない。これぞ究極の余暇であり、リフレッシュ休暇だ。時間効率を追求するのは無意味に等しい。
午前9時40分、ピパイロ岳の山頂に到着。登山開始からおよそ8時間、長い道のりだった。
でもその苦労に見合うだけの景色が広がっている。
先月登った1967峰も、伏美岳からでは見えない。ピパイロ岳まで登ってやっと見えるのだ。
少し遅れてminaさんも到着。初登頂、おめでとうございます。
今月は1人でヨーロッパアルプスを楽しんできたが、やはり誰かと一緒に味わう感動は別格だと思う。
温かいコーヒーとおやつまで戴きながら、しばらく山々を眺めて楽しむ。でもここはまだ折り返し地点だ。名残惜しいが帰り道を行く。
睡眠不足で睡魔が襲ってきたので、一人で先を急ぎ、水場コルで少し休むことにした。
木に寄りかかって眠りに落ち、どれだけ時間が過ぎたことだろう。目が覚めてもminaさんが現れる兆しはない。
それから10分以上過ぎた。
もしかしたら寝ているのを気遣って先へ行ってしまったか、それともまだ到達していないのか。状況が分からない。
こういう時、次のアクションが悩ましい。動かない方がいいと思った。
そしてややしばらくして熊鈴の音色が聞こえてきた。普通に笑顔でやって来て安心した。やはりパーティは連絡手段を確保するか、視認できる距離で行動するのがベターだ。
そこで免許不要のトランシーバーの購入を検討することにした。薮が濃くて視認距離を確保しずらい日高山脈では通信距離が著しく落ちそうだけど、そもそもニーズ自体がお守り程度だし、シーズンに何度も使うわけでもない。そう割り切って購入すればいいだろう。
下山、そして来シーズンへ向けて
結局、ピパイロ岳から伏美岳へは往路と同じだけ時間がかかった。
しかし伏美岳からの下りは速かった。登山開始からすでに13時間以上経過している「手負い」なのに、1時間30分で下山した。
そして伏美小屋へ到着すると、今回もキンキンに冷えたノンアルコールが待っていた。しかもおつまみ付き。今日は本当に至れり尽くせり、感謝しかない。
ここ本当に林道だったんだよね?っていう感じの道を行く。
できれば日没はまでにはスタート地点に戻りたい。先を急ぐ。
林道なんだから仲良くおしゃべりしながらチンタラ歩けばいいのに、気持ちが急いでいたのかもしれない。
17時10分に駐車位置到着し、明るいうちに離脱することができた。完璧である。
帰りはとんかつのみしなさんでカツカレー中盛を食べて帰る。
minaさんとは途中で分かれ、ひとり飯。店舗が新しくなってからは初めての訪問。相変わらずカレーもうまい。満席だったので(私の)異臭騒ぎになったらどうしようとおどおどしていたけれど、幸いにも案内されたのがカウンターの一番端っこ、ちょうど隣の席も空いた。臭いのソーシャルディスタンスである。
十勝清水ICを通過したのが19時。札幌南ICまでの間、満腹×睡眠不足で2回ほど仮眠を取ったので、帰宅は22時を過ぎていた。
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ここ10年くらいで私の登山スタイルもファストハイクの要素が強くなっていったように思う。派手な景色がどんどん移り変わっていくのが楽しい、だから一度にもっともっと遠くへ行こう、そんな気持ちが前に出ていたのかもしれない。
その結果、登山道が整備されていて歩きやすい大雪山に偏重気味だったように思う。これは必然の流れだと思う。
ただ今シーズンになって久しぶりに日高の山に登ってみると、それとは異なる魅力を感じることができた。
山頂までハイマツや灌木に覆われて緑があふれているし、シャープな尾根や谷、直線的なフォルムはある意味で山らしい。ありそうで意外と存在しない景色が広がっている。
脚が強くて体力に自信があっても、天然の障害物やどこまでも続く急坂に阻まれてなかなか進めないもどかしさ、これもある意味では楽しい。
そして純粋に一つの山頂を目指す、それを楽しめているようにも思う。
今シーズンは三度の日高通いで、そんなことを感じた年だった。この気持ちを来シーズンに繋げ、日高山行の割合を増やしたいと思っている。これもひとえにご縁を通じての賜物だと思う。より多くの方とコラボできれば嬉しい。
2026年になると、仕事の都合でしばらく札幌を離れる可能性が高い。25年で一区切りを付けるつもりでもっと楽しもう。